日本共産党

2004年8月15日(日)「しんぶん赤旗」

終戦59周年

憲法改悪は「戦争する国」への道

世界の本流は平和と対話


 世界の人びとをまきこんだ第二次世界大戦と、二千万人以上のアジア諸国国民、三百十万人以上の日本人を犠牲にした太平洋戦争から人類が引き出した教訓は、「戦争のない地球を」でした。あれから五十九年、人類はさらにいくつかの戦争を体験し、そしていまイラク戦争が事実上継続しています。その痛苦の体験の中から、戦争や軍事力によらない、平和と対話の世界をめざす新たな波が世界とアジアで起こりつつあります。そうした中で日本の現実は…。

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アジア 平和、友好 共同広がる

「過去」無視続ける日本政府

 いまアジアでは平和への流れが脈打っています。複雑な事態が続きながらも朝鮮半島では和解が進みつつあります。独立以来二度戦争し対立をつづけるインドとパキスタンの間でも、対話による解決への模索がなされています。

 東南アジア諸国の間では、平和と友好を合言葉にした共同体づくりへの努力が進行中。そして、その東南アジア諸国の結束のよりどころである東南アジア友好協力条約(TAC)への加盟国はアジア全域に及び、その輪は広がりつつあります。

 その中で問われているのが日本のあり方です。マレーシアの英字紙の幹部記者はいいます。

 「新しいアジアで日本に積極的役割を果たしてもらいたいというのはアジアに共通した見方でしょう。そのために、日本はアジア諸国から信頼される国になってほしい。その点で、過去にたいする日本政府の姿勢に目を向けないわけにゆきません」

 「私にとって戦争はまだ終わっていません。日本軍がおこなったマレーシアでの住民、華人虐殺について、日本の政府はその事実すら認めていません」。マレーシアのある村での日本軍による大量虐殺を告発しつづける孫建成さんの言葉です。

 侵略した国々から市民を強制的に連れてきて労働に従事させた強制連行問題では、最近になって一部の裁判所が関係者の責任を認める判決を下しました。しかし、まだ部分的な動きです。「従軍慰安婦」の問題では、政府は国としての責任をまったく認めようとしていません。日本軍による各国での住民虐殺については事実調査もほとんどおこなわれていません。

 中国に日本軍が遺棄してきた毒ガス兵器について日本政府はやっと手を打ち始めましたが、遅々とした動きです。その間に中国の住民の間で被害が続出しています。

 「戦後はまだ終わっていない現実」を省みず、それどころか戦争の教訓をないがしろにして進められているのが、「戦争をする国」への逆戻り現象です。他国の戦争に参加するための有事法制、自衛隊の海外派兵、憲法九条廃棄論の浮上、戦争犯罪人を祭った靖国神社への閣僚の参拝、君が代と日の丸の強制、そして閣僚による公然たる戦争肯定発言…。

 戦争の教訓と戦後の歴史をゆがめる危険な動きに正面から対決することは、アジアの平和の流れに日本が参加するための不可欠の条件となっています。三浦一夫記者

日本へ警戒強める韓国

靖国参拝、軍事大国化に懸念

 一九一〇年から四五年まで日本による植民地支配を受けた韓国は、侵略戦争のA級戦犯を祭る靖国神社参拝と、海外での軍事的役割の拡大にこだわる小泉政権への警戒心を強めています。

 韓国の与野党は十四日、植民地支配からの解放を記念する「光復節」を前にそれぞれ声明を発表。与党・開かれたウリ党は「日本は軍事大国化をねらっている」、野党ハンナラ党は「いまわれわれは大きな危険に直面している」、民主労働党は「日本は再武装の道を歩み続け、侵略の歴史をわい曲するなど、真の謝罪をしていない」と批判しました。

 韓国メディアは、自衛隊と在日米軍の一体化が進み、小泉純一郎首相が武器輸出三原則の見直しまで言及していることに触れながら、こうした動きが「完全に米国の傘のもとで進行している」と指摘。民主党の岡田克也代表が七月に訪米し、憲法改定と自衛隊の海外での武力行使を容認する発言をしたことをあげ、「平和憲法の改定は、おそらく日本の(軍事大国化の)歩みに翼をつけることになるだろう」と強調しました。

 日本軍の「慰安婦」にされた被害者と支援者がつくる韓国挺身(ていしん)隊問題対策協議会は十一日、ソウルの日本大使館前で六百十八回目の水曜集会を開き、「(来年の)植民地支配からの解放六十周年を迎えるまでに、慰安婦問題を解決しよう」と訴えました。面川誠記者

日中の歴史 相互理解を

政治関係が経済にも影響

 「政冷経熱」という言葉が中国にあります。政治分野は冷えているが、経済・貿易などは依然として熱気がある―という日中関係を語る言葉です。

 しかし最近では、この“定説”も崩れつつあります。

 知識人を中心に読まれている光明日報は、政治的関係が現状のままでは「貿易」も赤信号だと指摘しています(三日付)。同紙論評は、この二年間の日中貿易の伸び率は中国の貿易全体の伸び率より低くなっていると指摘。「日本は中国の貿易相手国一位の座をアメリカに譲るだろう」と予測し、「『政冷』のもとで、経済の熱が維持できるのか」と警鐘を鳴らしています。

 中国中日関係史学会の朱福来秘書長は「靖国参拝を平然と続ける小泉首相は、日本が侵略したアジアの人々の感情をまったく考えていないと指摘せざるをえません。昔からの隣人である日本と中国の関係を日本の首相自身の行動で悪化させる、これはもう罪だ、と言っていいと思います」と語ります。日中関係者の間からは「靖国参拝がある以上、北京・上海間の高速鉄道事業の日本への発注は難しいだろう」との声すらあがっています。

 日本の一部では、「中国の日本への抗議や不満は“反日愛国教育”が原因だ」とする声があります。中国の青年に影響力をもつ共産主義青年団機関紙・中国青年報九日付は、こう反論します。

 「中国が愛国教育の中で、いつ『反日』を主張したというのか。われわれは日本軍国主義軍の罪をきちんと示したいだけなのだ」「第二次大戦の被害国として、国民に惨禍の歴史を知らせるのは、あまりにも当然ではないか」

 先の朱秘書長は「隣国である日中の政治関係が冷たく、首脳の往来が途絶えていていいはずはありません」「靖国参拝問題も含めて両国が冷静に意見交換をしたほうがいい」といい、次のようにのべました。

 「いま日本にいる中国人は四十万人といわれます。そのうち多くが教壇などから日本人に語りかけているのではないでしょうか。誤解があるならそれを解き、両国間の歴史やそれに対する姿勢を訴える、そういう相互理解を各分野でいまこそ強めたい」(北京=小寺松雄)


欧州 「独の反省」にみる教訓

過去に向きあい繁栄つくる

 六月六日のノルマンディー上陸作戦(Dデー)と八月一日のワルシャワ蜂起の六十周年式典に、ドイツの首相としては初めてシュレーダー首相が参加しました。

 「われわれドイツ人は誰が罪を犯したかを知っている。われわれは歴史の前に責任を自覚し、真剣に考える」―Dデー式典でのシュレーダー首相の演説には「過去の反省」がにじみでました。

 蜂起したワルシャワ市民約二十万人をナチス・ドイツ軍が殺したワルシャワ蜂起の式典では「恥ずかしさで身の置き所がない」と語り、「独仏のようにポーランドとの和解を進めたい」と語りました。

 このシュレーダー首相の発言には「国家主義の狂気の跡から欧州の協調が生まれた」(ビルト日曜版への寄稿)との歴史認識があります。

 フランス、ポーランドもこの認識を歓迎しました。「かつての相いれない敵同士は数十年かけて現在(の協調と繁栄)をつくってきた」(シラク仏大統領)、「ポーランド・ドイツ間の痛ましい過去は両国と欧州、世界にとってよい教訓だ」(クワシニエフスキ・ポーランド大統領)。

 戦後、ドイツはナチスの過去と真剣に向き合ってきました。ナチスの犯罪者を裁いたニュルンベルク国際軍事法廷、ナチス関係者の公職追放に続き、ナチスのさまざまな犠牲者への補償が続きました。東欧の旧体制崩壊後、これまで補償されなかった東欧の被害者や強制労働被害者への補償が現在も継続されています。

 学校教育での反ナチス教育も徹底しています。子どもたちは強制収容所跡をたずね、その実態に触れながらナチスの権力の意味を学びます。ナチ的なもの、ネオナチに対する監視と追及も法律によって定められ実施されています。

 「過去に目を閉ざすものは現在にも盲目になる」「全員が過去のもたらした帰結にかかわっており、その責任を負っている」(ワイツゼッカー元大統領)などの「歴史の真実を直視しよう」の呼びかけは国民に浸透していきました。

 明確な「過去の反省」とそれにもとづく具体的な施策の実行こそ、仏独の協調と欧州統合の原点であり、そこに今日の欧州連合(EU)に至る発展があります。(ベルリン=片岡正明)


「自衛隊  戦闘準備完了」

『ニューズウィーク』が特集

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 米誌『ニューズウィーク』七月十九日号は、発足五十年を迎えた日本の自衛隊が「転換点にさしかかっている」とし、米国のアフガニスタンやイラクへの戦争に積極的にかかわるなかで「戦闘準備完了」と題する特集記事(写真)を掲載しました。

 記事は、日本が一九九〇年代初めにカンボジアなどでの平和維持活動に自衛隊を派遣し、二〇〇一年の9・11事件後に米英連合軍艦船への給油のため海上自衛隊補給艦船をインド洋に派遣した点にふれています。

 そして、「(日本)政府は今、自衛隊の役割を拡大し、また、自衛隊がもっと正規の軍隊のようになれるような変更を熟慮しつつある」と指摘。

 「小泉首相は、日本の憲法(解釈)を極限まで引き伸ばそうとしていると批判されている。日本の軍事的役割を認めるための憲法改定についての深刻な論議が始まっている」とのべています。(同記事は日本版では七月二十一日号に掲載)


輝き増す九条

不戦決意のさきがけ

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「九条の会」の発足を記念して開かれた講演会=7月24日、東京・港区

 ことしの終戦記念日は、現に戦闘がおこなわれているイラクに自衛隊が派兵され、日本を「戦争をする国」に変えようとする動きが激しさを増すなかで迎えました。憲法の原点とは、21世紀のなかで九条の持つ意味は――。

 「日本国民は…政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する」(日本国憲法前文)

 日本とアジアに甚大な犠牲をもたらした侵略戦争の反省の上にたち、憲法は「戦争をしない国」づくりを誓いました。ここに憲法の原点があります。

21世紀に生きる

 第九条は、一項で戦争の放棄、二項で戦力の不保持を規定しました。

 戦力の不保持、すなわち国家による常備軍の保持の禁止は、侵略戦争への反省、「不戦の誓い」を具体化し、日本の軍国主義が復活しないようにしたものでした。

 それは同時に、一切の国際紛争の武力解決を禁止する保障として、「戦争のない世界」をめざす意思の表れでもありました。

 憲法は一九四六年に制定されましたが、前年の四五年に国際連合が誕生しています。

 二十世紀に入り世界は、二度もの世界大戦で未曽有の惨禍を体験しました。国連憲章は、その痛苦の教訓を踏まえ、「戦争のない世界」を本当につくりだそうと、個々の国が勝手に戦争をすることを認めない、たとえ紛争が起きても平和的解決を根本原則とすることをうちたてました。

 九条は、新しい「戦争のない世界」へのさきがけとしての意味をもっていたのです。

 米ソ軍事対決が終えんして以降、いま世界では、平和の新しい国際秩序を国連中心につくりだそうとする流れが強まっています。

 いまや唯一の超大国アメリカでさえ自分の思惑だけで世界の流れを決めることはできません。アジアも含め、世界のどんな地域でも各国が勝手な行動をして、それが認められる時代ではなくなっているのです。

 イラク戦争に反対・不賛成の国は国連加盟国百九十一カ国中百四十二カ国、賛成の国は四十九カ国でした。世界の六十二億の人口のうち、五十億人を抱える国が反対・不賛成を表明したのです。国連はアメリカが戦争をはじめた後も、一度もそれを合法的なものと追認していません。

 「戦争のない世界」へ国連が役割を発揮しつつあるなかで、「戦争をしない国」になるという九条の理想は、強い輝きを放っています。

自公民が改憲案

 その世界の流れに逆行して九条改憲を競い合っているのが自民、公明、民主の各党です。

 民主党の岡田克也代表は七月に訪米して「憲法を改正して国連安保理の明確な決議がある場合に、日本の海外における武力行使を可能に」すべきだと発言。小泉首相はただちに「自分と考えは同じだ」と応じました。

 今月五日に自公民三党は衆院憲法調査会で、それぞれの改憲案の発表と討議を強行し、国会の場に持ち込みました。

 自民党は前文に「九条の見直しを反映させ『一国平和主義』の誤りを正す」、九条について「自衛のための戦力の保持を明記」「個別的・集団的自衛権の行使に関する規定を盛り込む」など、憲法の大転換を明確にしました。民主党は、「国連の集団安全保障活動を明確に位置付ける」「限定された自衛権を明記する」とし、九条の明文改悪に大きく踏み込みました。公明党は「自衛権の明記」「自衛隊の存在を認める記述を置く」など、九条改憲の議論を展開しました。

改憲反対の運動

 九条改憲を許さない国民的な運動が高まりつつあります。「憲法九条、いまこそ旬」として、九人の著名な知識・文化人が「九条の会」を結成(六月十日)。「憲法九条を激動する世界に輝かせたい」とアピールを発表し、賛同者が一カ月半で七百人近くに広がりました。アピールに呼応して県や市町村、地域で「会」の結成がすすんでいます。中祖寅一記者


平和築くたたかい

反戦貫く日本共産党

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党が発行した兵士向けの新聞「兵士の友」創刊号。33年末までに12号が発行されました

 日本共産党は戦前、戦後を通じて、人類をもっとも苦難に陥れる侵略戦争に反対し、平和をきずくために全力をあげてきました。

 日本共産党は、国民主権を掲げ、天皇制政府のすすめる侵略戦争と植民地支配反対を掲げて、一九二二年創立しました。

 党は機関紙「赤旗」で日本の中国侵略の危険を毎号のように伝え、軍隊のなかでも反戦闘争を広げました。これを恐れた天皇制政府は、日本共産党と民主運動に激しい迫害を加えました。中国への本格的な侵略が開始された三一年から激しさを増し、治安維持法による検挙者は三〇年の六千八百七十七人から、三一年には一万一千二百五十人に急増、三三年に約一万八千四百人に達しました。拷問で命を落とした党員も少なくありません。

 党員作家小林多喜二の虐殺にはロマン・ロラン、魯迅はじめ内外から多数の抗議と弔電が寄せられたのに対し、政府は告別式参会者まで捕らえて弾圧しました。

 三五年に最後の党中央委員が逮捕されて党の機能は破壊されましたが、市川正一や宮本顕治らは生命が脅かされる獄中でも節を曲げず、公開の法廷で党の姿を堂々と陳述してたたかいました。

 日本共産党以外のすべての政党は戦争遂行の体制に呼応して解散し、戦争を推進しました。

 戦前の党のたたかい、目標が正しかったことは、主権在民や戦争放棄が日本国憲法に書き込まれたことによって、実証されました。

 米国は「トンキン湾事件」を口実に六五年二月、北ベトナムへの本格的な攻撃を開始。党はベトナム戦争を世界の平和勢力への重大な挑戦だとして、侵略に反対しベトナム国民を支援する共同闘争を呼びかけました。

 ソ連のアフガニスタン侵略(七九年十二月)に対しても日本共産党はソ連軍の撤退を要求。十五回党大会では出席していたソ連代表を面前にして厳しく批判しました。

イラク戦争反対で野党外交

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エジプトのムバラク外務次官(左=当時、故人)と会談する緒方靖夫国際局長(中央)、森原公敏同次長=2002年 10月19日、カイロ

 イラク戦争に対して日本共産党は、国内での反対運動に力を入れるとともに、世界平和のための外交活動を積極的に展開してきました。

 二〇〇二年八月、不破哲三議長は訪中して中国の江沢民総書記と会談。国連憲章に基づく平和の国際ルールの破壊を許さない問題を提起した不破氏に対し、中国側は初めてイラク戦争反対の立場を表明しました。

 さらに同年十月には、大統領信任投票の監視のためイラクから招待された日本の政党で唯一、イラクに代表団を送りました。団長の緒方靖夫参院議員はイラクが大量破壊兵器の国際機関の査察を無条件に受け入れることを申し入れ、イラク側はこれを約束しました。

 代表団はエジプト、ヨルダン、サウジアラビア、カタール、アラブ首長国連邦も歴訪し、米国寄りの国も含めすべての国でイラク戦争反対の一致点が得られたのです。

 同年十二月には志位和夫委員長がインド、スリランカ、パキスタンを訪問し、イラク戦争反対の共通認識を確認しました。

 翌〇三年三月に米英軍がイラク攻撃を強行。日本共産党は軍事行動の即時中止を求める声明を五十六カ国の在日外国公館と国連代表部などに届けました。

 アメリカいいなりにイラク戦争を支持し自衛隊まで派遣した小泉政権と、イラクにも乗りこんで大量破壊兵器の国連の査察受け入れを迫り、イラク戦争反対で、世界の国ぐにと合意を広げてきた日本共産党との違いが鮮明になっています。


戦前の日本共産党への評価

喝采で迎えられた

 ●占領行政担当者の回想録

 「共産党員は抵抗運動を理由に追放、長期間の投獄、さらにもっとひどい迫害をうけてきた。帰還し、または監獄から釈放された後、しばらくの間、彼等は多くの日本人によって英雄ないしは殉教者として、喝采で迎えられた。私達の任務に即して見れば、彼等は日本社会のうちで最も弱みを持たない分子であった」(A・オプラー『日本占領と法制改革』日本評論社、一九九〇年)

自由にしておけば

 ●井上成美(最後の海軍大将)

 「いまでも悔まれるのは、共産党を治安維持法で押さえつけたことだ。いまのように自由にしておくべきではなかったか。そうすれば戦争がおきなかったのではあるまいか…」(『井上成美』伝記刊行会、一九八二年)

道徳的権威をもつ

 ●自民党教科書

 「社会党を含めて他の政党が何らかの形で戦争に協力したのに対し、ひとり共産党は終始一貫戦争に反対してきた。従って共産党は他党にない道徳的権威を持っていた」(『日本の政党』自由民主党研修叢書、一九七九年)



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