2004年8月19日(木)「しんぶん赤旗」
沖縄・宜野湾市で起きた米軍ヘリコプター墜落事故から、五日がたちました。現場の沖縄国際大学の構内には黒く焼け焦げた土が残り、炭のようになった木が一本突っ立っています。大惨事となった事故だけに、基地撤去への住民の願いは、日本政府と米軍に強く向けられています。
「小泉首相はこの現場を見なきゃだめだ。基地は全部撤去だ。自分たちの国に帰ればいい」。隣の浦添市から現場を見にきた金城仁清さん(65)は、夏休みを理由に視察もしない小泉首相に怒ります。
墜落直後、現場近くに住む沖国大三年生の女子学生は頭が真っ白になりました。黒煙が上がる近くにガソリンスタンドがあるからです。「怖くて自分で何も考えられなかった」。爆発の瞬間、ガラスのないトイレに隠れました。
事故直後、米軍が現場前の道路周辺に黄色いテープを張り巡らせました。すべてが米軍の指揮下です。「おかしい。原因は基地と日米地位協定。アメリカに何もいえない日本政府もいけない」「もう二度と怖い思いはしたくない。基地は絶対にいらない。県民集会でもなんでもいいから開いて、基地の危険を本土の人たちに伝えたい」
事故後三日間、道路は全面閉鎖されました。日本の警察は追認し、交通整理にあたりました。現場の斜め向かいのマンションに住む女性は、普段ゴミを捨てている歩道が封鎖され困りました。米軍の態度に「まざまざと(アメリカの言うままの日本政府との)力の差を見せられた。事故後の方がショックだった」と語りました。