2004年8月24日(火)「しんぶん赤旗」
|
「また落ちたらどうするのか」。CH53D大型輸送ヘリが墜落した沖縄国際大学(沖縄県宜野湾市)周辺の住民は、恐怖と怒りを抑え切れません。米海兵隊が強行した事故機と同型機の飛行再開。理由は、イラクへの出撃のためでした。県民の命より、イラク作戦=イラク住民への横暴な支配を最優先する沖縄の米軍基地の姿が鮮明になりました。
「状況が変わってしまった。これからどうなるか、予想もつかない」
二十二日のCH53Dの飛行再開を知った那覇防衛施設局幹部は、その衝撃を語ります。
米海兵隊・普天間基地での飛行停止は、今回の事故を受け、党派を超えた県民の一致した最低限の要求でした。しかも、普天間基地の県内たらい回しをとりきめた沖縄に関する日米特別委員会(SACO)合意の「見直し」を求める県内自治体決議が相次ぐなかでの飛行再開。幹部の言葉には、今後どれだけ県民の怒りが広がっていくか予測できなくなってしまったことへの恐れがにじんでいました。
米軍は当初、事故原因のさらなる分析・綿密な点検が行われるまで飛行再開しないと約束していました。
ところが、二十二日公表の事故原因の発表文は「尾翼ローターの小さな部品がなくなっていた」「事故機特有のもの」とするだけで、なぜ「小さな部品がなくなっていた」のかの記述はありません。まともな原因究明とはいえず、「『徹底究明』にはあたらない」(稲嶺恵一知事)ものです。
宜野湾市の伊波洋一市長は、事故直後に「まるで沖縄を軍政下にあるかのように扱うもの」と抗議しました。これは、住民の命や安全について、ひとかけらの配慮も示さない米軍の横暴に対する県民共通の思いです。
|
重大なのは、CH53Dの飛行再開の理由が、「『イラクの自由作戦』支援」(米海兵隊の発表)であることです。
米海兵隊によると、沖縄に駐留する第31海兵遠征隊(31MEU)に、イラク派遣命令が出されています。このため、まず二十日、31MEUの航空部隊として、CH53D以外のヘリが普天間基地から出撃しました。
今回の飛行再開した六機のCH53Dも、31MEUの一員として、同基地から出撃したものです。
沖縄本島東海岸の沖合いには二十一日まで佐世保基地所属の強襲揚陸艦エセックスが停泊していたことが確認されており、六機のCH53Dは同艦に向けて飛び立ったものとみられます。
米海兵隊は、CH53Dの飛行再開にあたっての発表で、「CH53Dは、MEUの重輸送能力を代表する機種だ。展開するうえで、これらの長所は、指揮官が不測の作戦で広い範囲にわたって任務の遂行準備を保証するために求められているものだ」と指摘。同機の輸送能力の高さが、イラク作戦にとって不可欠であることを強調しています。
県民の命を危険にさらす飛行再開が、米国の先制攻撃戦略にもとづくイラク戦争、その後のイラク支配のためであることは、二重に許されないことです。
伊波市長は飛行再開強行を受け二十三日、在沖縄米海兵隊に抗議しました。
伊波市長 普天間基地は、ただちに運用を停止すべきだ。
ハーマン・クラーディ外交政策部長(中佐) 海兵隊としては、ヘリ基地として運用することに問題ないとの認識だ。日米安保条約で提供された施設であり、必要な基地だ。
日本政府が認めた安保条約のもとで、普天間基地がある。だから問題ない―。「日米同盟」をなによりも優先する小泉政権の姿勢をみての開き直りです。
小泉純一郎首相は、墜落事故を受け、要請のために上京した稲嶺知事や伊波市長とは「夏休み」を理由に面談を拒否しました。
事故を受けて、外務省が米軍に求めたのは、県の要求である普天間基地所属の航空機の飛行停止についての「真剣な考慮」。十七日に、米軍がCH53D以外の飛行再開を表明したときも、海老原紳北米局長がマハラック在日米臨時大使に申し入れたのは「必要最小限の運用を」でした。
今回のCH53Dの飛行では、さすがに抗議せざるをえなかったものの、「運用するのであれば、万全の安全対策が取られるよう強く求める」とのべるなど、飛行再開が前提の“抗議”にとどまりました。
米軍が横暴を振る舞う背景には、米軍にまともに物をいえない日本政府の姿勢があります。
地元メディアは、今回の飛行再開について「米軍の戦略優先の方針を常に容認してきた、日本政府の姿勢が招いた結果ともいえよう」(沖縄タイムス、二十三日付)と指摘しています。
世界の平和のためにも、県民の命を守るためにも、普天間基地は即時閉鎖、無条件全面撤去以外にありません。