日本共産党

2004年8月25日(水)「しんぶん赤旗」

沖縄・宜野湾ヘリ墜落事故

米軍に弱腰、小泉政権

地元と一度は面会拒否、今度は会うが…


写真

事故現場を封鎖し、防護服姿で事故機を調査する米軍=18日、沖縄・宜野湾市、沖縄国際大学

 沖縄県宜野湾市の沖縄国際大学構内に米海兵隊の大型輸送ヘリコプターが墜落した事故で、細田博之官房長官が二十四日に米側と原因究明の協議に入る意向を表明するなど、小泉純一郎首相の夏休みが明けたとたん、日本政府がにわかに動き始めました。沖縄県民の生命と安全、日本の主権を守る立場から毅然(きぜん)と対応するのか、これまでのように「米軍言いなり」に終始するのかが厳しく問われています。

飛行再開を追認

現場検証でも

地位協定にも逸脱

 細田官房長官は二十四日の記者会見で、(1)事故原因の究明などのため、日米合同委員会の下部組織である事故分科委員会を可能ならば週内に開催する(2)小泉首相が、米海兵隊のヘリ基地である普天間基地(宜野湾市)での飛行停止を求めている沖縄県の稲嶺恵一知事と会談し、要望を聞く――ことを明らかにしました。

これまで何の対応もせず

 ところが、首相は、先週、事故に関する申し入れのため上京してきた宜野湾市の伊波洋一市長や稲嶺知事の面会要請を「夏休み中」を口実に拒否したばかり。

 「何をいまさら」との批判が上がっても当然の対応です。

 実際、今回の事故をめぐり、政府は事実上、何の対応もしてきませんでした。

 国民の生命と安全を脅かす重大事故が日本の大学の敷地内で起こったにもかかわらず、米軍が事故現場の周辺を一方的に立ち入り禁止にし、沖縄県警が求めた現場検証も拒否するという二重の主権侵害に対しても、抗議するどころか、逆に協力。政府自身による事故原因の究明や事故処理を一切放棄してきました。

 しかも、宜野湾市や沖縄県などが強く全面停止を求めている普天間基地での米軍機の飛行再開を容認。事故機と同型機(CH53Dヘリコプター)の飛行再開が強行された時にはさすがに「遺憾」の意だけは表明したものの、同時に、同型機の運用にあたって「万全の安全対策」を求め、事実上追認しました。

日本の側が「ノー」言えば

 政府は、こうした「米軍言いなり」の対応について、米軍の「治外法権」的な特権を保証した日米地位協定を根拠に挙げています。

 しかし、今回の政府の対応は、地位協定に照らしても許されない米軍の横暴を容認する極めて卑屈なものです。

 政府は、米軍が事故現場周辺を立ち入り禁止にし、事故機の機体を勝手に回収した根拠について、地位協定二三条を挙げます。

 ところが、同条は「日本国及び合衆国は、合衆国軍隊…の財産の安全を確保するため随時に必要となるべき措置を執ることについて協力する」と定めているだけです。日米協力が前提であり、日本側が「ノー」と言えば、米軍が一方的に立ち入り禁止措置をとることなどできません。まして日本の警察まで排除する根拠にはなりません。

 政府はまた、米軍が沖縄県警の現場検証を拒否したことについて、地位協定一七条一〇項に関する日米合意を挙げています。

 しかし同項は、米軍の軍事警察は基地の外では「日本国の当局との取極に従うことを条件とし、かつ、日本国の当局と連絡して使用される」と規定。「その使用は、合衆国軍隊の構成員の間の規律及び秩序の維持のため必要な範囲内に限る」、つまり、米兵同士のケンカや酔っ払った米兵が暴れているといった場合にに限る、と定めているのです。

米軍が事故現場を制圧

県警も立ち入れず

 米軍は今回の事故で、沖縄国際大学へのヘリ墜落事故現場を制圧し、県警の現場検証を許さないなど、まるで“占領者”のように振る舞いました。

 墜落した十三日、沖縄国際大学の一号館は煙に包まれました。

 墜落直後に自家用車でやってきた米兵たちは、事故現場にもっとも近い道路を封鎖。その後、黄色い米軍の消防車がやってきて、道路の中央を占拠し、消火作業を始めました。

 二台の軍用トラックでやってきた米兵たちも、大学の玄関から走ってなだれ込み、大学構内の墜落現場を制圧したのです。

 翌十四日に、県警は墜落現場の現場検証を米側に要請しましたが、米軍は回答をしないまま、十六日に、最重要の証拠である機体の残がいの回収作業を強行。十七日になって、米軍は県警が求めた現場検証を拒否しました。

 県警は、みずから張った「立入禁止」のテープから入れず、その外から写真撮影する状態が続きました。

 県警が墜落現場へ立ち入り、現場検証ができたのは、米軍が機体の残がいを回収し終わった十九日午後でした。

過去にも開かれた事故分科委員会

原因究明できず

 細田官房長官が24日に週内にも開催の意向を表明した事故分科委員会は、過去にも開かれたことがあります。

 1977年9月に米軍機が横浜市緑区に墜落し、2人の幼い子どもとその母親の命を奪った事故でも計11回開かれました。

 しかし、同委員会は、あくまで事故に関する米側の調査結果などについて報告を受けるにすぎず、直接、原因究明を行うものではありませんでした。最終的には、航空交通管制の再検討などを勧告する報告書をまとめただけでした。



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