日本共産党

2004年9月5日(日)「しんぶん赤旗」

米軍ヘリ飛ぶたび、脅える子どもたち

「基地ある限り…」切々と

沖縄・宜野湾 市田書記局長らに市長、住民


 「米軍ヘリは翼をたたんでアメリカに持って帰ってもらいたい」「基地がある限り、事故はなくならない」――。四日午前、沖縄県宜野湾市の米軍ヘリ墜落事故の現場を視察した日本共産党の市田忠義書記局長らは、午後からは伊波洋一市長や市民らと懇談。普天間基地の危険な実態、切実な訴えを聞きました。



市長 「危険な現実の放置が重大」

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米軍基地問題について伊波洋一宜野湾市長(右手前)と懇談する党調査団=4日、沖縄・宜野湾市役所

 「参加しよう九月五日の市民大会へ」の横断幕が正面ロビーに掲げられた宜野湾市役所。米軍ヘリ墜落事故抗議写真展も開かれています。市田氏は伊波市長と同市役所で懇談しました。

 市田氏は「(五日の宜野湾市での)市民大会参加の機会に事故の被害を受けた方々の話を聞き、(事故現場となった)沖縄国際大学の現地を訪ね、事故の結果どういう問題が起こり、どういう要望があるのか、国会で取り上げていきたい」と語りました。

 伊波市長は「墜落事故そのものが大変重大であると同時に、事故後の米軍の現場管理に地位協定上の問題がある。機体の調査から日本側が排除されるなかで、米側からは(機体に)放射性物質が含まれていたということが示される。危険なものはないと言っておきながら、現実にはあった。つねに米軍に不利益なものは隠すという仕組みが容認されている」と批判しました。

 一九九六年十二月のSACO(沖縄に関する日米特別行動委員会)合意で普天間基地の返還が合意された理由が、市街地の人口密集地にあり、危険だということだったことを指摘し、「そのことが放置されてきたことが重大だ」と強調。政府がSACO合意を、普天間基地の危険の除去というよりも、名護市辺野古沖への新基地建設の推進ととらえていることを批判しました。

 「SACO合意のあとも、普天間基地の危険は高まっている」として、九七年には一日平均六十四回だった飛行回数が二〇〇三年には百五回に増えたこと、米軍ヘリの訓練が集中する平日の火、水、木曜に限れば九十五回から百四十九回へと一・五倍になっていることを紹介しました。

 今回の事故が、普天間基地の実態を訴えるために訪米した矢先に起きたことに、「人身上の被害がなかったのは奇跡ともいえるが、私たちへの最後の警告と受け止めている。これを契機にヘリ基地機能をただちに停止するよう求めているところだ。そのうえで閉鎖、返還に向けて日米両政府が協議するよう求めたい」と述べました。

 「事故は市民に、普段飛んでいるヘリが墜落するという実感をもたせた。市民大会に多くの関心を寄せ、ヘリは自分たちの頭上を飛んでほしくないという思いがわきあがっている。市議会でも立場を超えて、市民の生命と財産が大事だと決議をあげ、大会のとりくみを全市的におこなっている」と説明しました。

 懇談後市田氏らは市役所屋上から普天間基地を視察しました。

住民 「どこに逃げたらいいのか」
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米軍基地問題について住民と懇談する市田書記局長(手前の席左から2人目)ら党調査団=4日、沖縄・宜野湾市社会福祉センター

 市社会福祉センターで開かれた「基地問題で住民の声を聞く会」。市民ら約四十人が参加しました。

 墜落した事故機が飛行したルートの下に自宅があるという女性は「わが家に落ちてもおかしくなかった」。その後、明け方になると、米軍ヘリが頭の上に落ちてくる夢を見るようになったと言います。友人が、かつて宮森小学校(石川市)に米軍機が墜落(一九五九年)し、生徒ら十七人が死亡した事故を在校生として経験し、めいはその事故で負ったケロイドがもとで成人してから死んだことを思い出す、と涙ながらに訴えていたことを紹介。「安心して暮らせない、子育てもできない地域、それは戦場と同じです」と訴えました。

 七十二歳の男性は、五歳の孫から「(ヘリは)どうして落ちたの。何をしに来たのか」と聞かれ、何も答えることができなかったことを紹介。「本当にみじめに思った。小泉(純一郎)首相はこの現状をどう思うのか」。また「飛行機が落ちてきたら、どうすればいいの」とも聞かれ、「家の中に隠れなさい」と言ったことを紹介。「しかし、それは間違い。どこに逃げたらいいのか分からないのが私たち市民だ」と訴えました。

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米軍ヘリ墜落事故現場前に住む中村健一さん(左から2人目)から当時のようすを聞く党調査団=4日、沖縄・宜野湾市の沖縄国際大前

 普天間小学校で一年生を担任しているという教師は「子どもたちは(墜落した)ヘリに乗っていた米兵は助かったかなと心配する。とてもやさしい子どもたちです」と語りだしました。普天間基地の開放日に米軍ヘリに乗って喜んでいた子どもが、その基地から米軍ヘリがイラクに行き、そこでは同じ年ごろの子どもたちが多く死んでいることを知り、「(ヘリに乗って)ぼく悪いことしたかな」と聞いてきたことを紹介。「子どもたちは今、どうすればいいかを考えている。今はヘリがゴーッと飛ぶたび、びくっとするようになった。私たち教師が子どもたちを守れないでどうするという気持ちで、あす(五日)教職員全員が市民大会に参加します」と強く語りました。

 市田氏は「涙なくして聞けない訴えばかりでした。(今回の事故は)一歩間違えば大変だったと言われているが、二歩も三歩も間違った事故だった。みなさんの声を国会内外でのたたかいに本当に生かしていきたい」と結びました。



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