2004年9月12日(日)「しんぶん赤旗」
【ニューヨーク=浜谷浩司】夜空に高く立ち上がる二本の青い光の柱。同時テロ三周年前夜、十日夜のニューヨーク市です。テロで崩壊した世界貿易センタービル跡地に面した消防署で、一人の消防士が語りました。
「どうやって助かったか、自分でもよく分からない。一階の大きな窓から飛び出した。私と同僚の二人だけだった。神が何かの理由で救ってくれたとしか言いようがない」
消防署には犠牲となった六人の消防士のレリーフが掲げられています。話をしてくれた消防士は、テロ発生直後、そのうちの五人といっしょに出動しました。
「希望? あの六人と今でもいっしょにいたい。それだけだ」。感情を抑えるように、消防士はそう言います。
マンハッタンのユニオン広場。三年前のテロ後、ここから南側は立ち入りが禁止されました。
金曜日とあってごった返す広場に、戦争での民間人犠牲者を追悼する石碑が運び込まれました。周囲に、白い紙袋が増えていきます。黄色い発光器を入れた袋には、灯ろうのように文字が浮かび上がります。
「平和」の文字、ボブ・ディランの「花はどこへいった」の歌詞、反戦マーク…。テロ犠牲者なのでしょうか、ただ名前だけを書いたものもあります。
同時テロ犠牲者の家族らの会「ピースフル・トゥモローズ」が呼びかけたものです。
「灯ろう」づくりを手伝うジュリー・フェンチさん。「世界貿易センタービルに一機目の旅客機が突っ込んだ午前八時四十六分には、毎年この広場に来て黙とうする」といいます。
袋をビルに見立て、たくさんの窓を開けている女性がいました。ウェンディ・フリーマンさんは貿易センタービルの近くに住み、ビルの姿を見慣れていました。事件後は、飛行機に乗らないようにしてきたといいます。
広場に集まったのは平和の訴えに共感する人たちだけではありません。「この日を決して忘れない」というトレーシーさん。「ボーイフレンドの友人」の写真を手に、「米兵は私たちのためにたたかっている」といいます。
しかし、「ピースフル・トゥモローズ」共同代表の一人デービッド・ポトーティ氏は、「九月十一日に死んだ人ばかりでない。その後に何人の人々が死んだことか」と語ります。三年前の九・一一テロで兄を失いました。そしてその上で「今年が最悪だ」と語ります。
ブッシュ大統領は八日前、ニューヨーク市で「米国はより安全になった」と胸を張りました。
ポトーティ氏は、「違う。米政府の行動の結果、世界はますます危険になった。このままでは、十年後の世界はもっともっと危険になる」と反論します。
「アメリカは間違った方向に突き進んでいる。針路を変え、世界の人々と協力し合うようにならなければ」と訴えに力を込めました。