2004年9月14日(火)「しんぶん赤旗」
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沖縄国際大学(宜野湾市)への米軍ヘリ墜落事故に抗議して、宜野湾市民大会が十二日開かれました。炎天下、同市が当初「目指す」としていた一万人をはるかに超える約三万人が基地に隣接する同大グラウンドに集まり、「普天間基地の早期返還」で心を一つにしました。沖縄県では、一九九五年の少女暴行事件に抗議して開かれた県民総決起大会(八万五千人)に次ぐ大規模な集会です。
実行委員長の伊波洋一市長は、事故の責任は市街地の真ん中に居座る同基地の返還を遅らせてきた日米両政府にあると断言し、稲嶺知事に対しても「辺野古移設を前提にして普天間を見るのではなく、危険な現状を直視する勇気を持ってほしい」と指摘。会場から、ひときわ大きな拍手が起こりました。
伊佐敏男市議会議長は「市議会は普天間の返還を求め、SACO(サコ)(沖縄に関する日米特別行動委員会)合意による辺野古移設の再考を求める決議をした。あらゆる行動を起こす」、沖縄国際大学の渡久地朝明学長は「事故で大学関係者が生存の危機にさらされ、大学の自治が侵された」と糾弾しました。
実行委員会には被害をうけた同大学をはじめ、市内の全自治会、商工会、PTA、保育園など七十一団体が加わりました。壇上では、小学生から老人クラブの代表まで、さまざまな世代が自分の言葉で、事故への恐怖や怒りを表明。「大きなショックを受けて不安な気持ちでいっぱい」(小学生)、「日本中の人たちが、抗議運動に興味をもち、自分のこととして受けとめてほしい」(中学生)、「平和な未来を残すため、基地の撤去を強く求めたい」(高校生)など、若い人の発言をきき目頭を押さえる参加者もいました。
会場には、「県民の平和の心を子どもたちに伝えたい」(浦添市の女性)と市外からも多くの人が参加し、“基地のない平和な沖縄の実現”が県民共通の思いであることを示しました。
大会では、「普天間飛行場の早期返還」「辺野古移設の再考」「日米地位協定の抜本的見直し」など六項目を要求する市民決議を採択しました。
市民大会実行委員会の伊波洋一宜野湾市長らは十三日、沖縄県や外務省沖縄事務所などを訪れ、同市の米海兵隊普天間基地の名護市辺野古沖への移設計画の「再考」などを要求した大会決議と、その実現を求めた五万五千七百二十六人分の署名簿を手渡し、県と政府の積極的な対応を要請しました。