2004年9月18日(土)「しんぶん赤旗」
〈問い〉 「ゾウ列車がやってきた」という歌について、実際にあった話と聞きましたが、どんな話ですか?(東京・一読者)
〈答え〉 「ゾウ列車」は戦後まもなく、名古屋市東山動物園で実際にあった話です。
太平洋戦争末期、動物園では、食糧難や「爆弾が落ちたら動物が人を襲う」と軍の命令で動物が殺されました。東山動物園には戦前、4頭のゾウがいました。たくさんの動物が殺されていく中で、当時の職員たちは北王英一園長を先頭にゾウだけでも守ろうと、エサ作りのために空き地を耕したり、空襲の中を荷車を引いてエサを探しまわりました。しかし、寒さと飢えで2頭は死にました。
東京・上野動物園では、3頭のゾウを餓死させました。芸をすればえさをもらえると思い、弱ったからだで一生懸命に芸をするゾウの話は、絵本「かわいそうなゾウ」で、よく知られています。結局、戦前、日本全国で1941年には20頭いたゾウのうち、終戦後まで生きのびたのは、東山動物園のエルド、マカニーの二頭だけでした。終戦直後、上野動物園のゾウ舎にゾウはおらず、えんぴつで描いたゾウの絵があるだけでした。
「実物のゾウが見たい」―1949年、上野動物園の地元、台東区の小学生が声をあげました。区内27校から6年の男女一人ずつの代表でつくる「台東子ども議会」で意見がまとまり、東山動物園にお願いに行きます。それが行政や国鉄を動かし、特別列車が走ったのです。「ゾウ列車第1号」は49年6月18日、滋賀県彦根市から出発。ついで、東京、三重、埼玉、千葉…と、修学旅行をふくめ3万人以上の子どもたちが乗りました。
『ぞうれっしゃがやってきた』は、小学教師だった小出隆司さんが北王園長に聴いた話をもとに76年に自費出版。85〜86年に「愛知子どもの幸せと平和を願う合唱団」と清水則雄さん、藤村記一郎さんらが相談しながら合唱構成に作詞・作曲。いのちの尊さ、人間のやさしさや勇気、平和を願う歌として、うたいつづけられています。(喜)
〔2004・9・18(土)〕