2004年10月9日(土)「しんぶん赤旗」
外務省と防衛施設庁は八日、沖縄県宜野湾市で八月十三日に発生したヘリ墜落事故に関する米海兵隊の調査報告書全文を公表しました。それによると、墜落した大型ヘリCH53Dはイラク派兵に向けて整備中で機能点検のため宜野湾市上空などを飛行したものの、整備不良が原因で、普天間基地を離陸後、約二十二分後に墜落したことが分かりました。
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報告書は二百十ページにおよび、事故の概要と関係者への聞き取り調査のやりとり、飛行マニュアルの抜粋、事故機の飛行経歴、管制塔との交信記録などで構成されています。
乗組員や整備要員など、調査対象となった兵員の氏名はすべて黒塗りとなっています。
事故機は「Cカード」と呼ばれる機能点検飛行のため、八月十三日午後一時五十六分、普天間基地を離陸。同基地「周辺」で約十八分間にわたって点検飛行を行いましたが、午後二時十七分、テールローター(尾部回転翼)が制御不能になりました。
事故機は管制塔に緊急事態を通告。午後二時十八分に最後の交信を行った後、三十秒以内に沖縄国際大学の校舎に激突しました。
事故が発生した理由として、報告書はテールローターに取りつける接続ボルトの「整備不良」と断定。その原因として、整備マニュアルの欠陥や夜勤・日勤の整備要員の交代時の連絡ミスに加えて、整備要員が長時間勤務を強いられていたことを挙げました。
事故機をふくむCH53D部隊は八月十四日までに、強襲揚陸艦エセックスに搭載することになっていました。このため、整備要員は八月十日以来、十二時間交代の二勤制になりましたが、実態は夜勤で十六時間、日勤で十四時間勤務を強いられ、「寝不足で手が震えていた」者もいたとしています。
エセックスと、CH53D部隊を含む沖縄の第三一海兵遠征隊(31MEU)はその後、イラクに派兵されており、その準備のための過重勤務が事故の背景にあったことが示されています。