2004年10月10日(日)「しんぶん赤旗」
|
八月十三日に沖縄県宜野湾市の沖縄国際大学に墜落した米軍大型ヘリCH53Dは、普天間基地を離陸する際にも部品を滑走路に落とし、同基地の管制官からそのことを知らされたにもかかわらず、乗組員は問題ないと判断、そのまま飛行を継続していたことが、米海兵隊の事故調査報告書(八日公表)で分かりました。
落下したのは機体後部のポジション・ライト(位置灯)。事故機と管制官の交信記録によると、事故機は午後一時五十六分に離陸し、宜野湾市上空を飛行中の同二時十七分、管制官から「(普天間)基地の管理担当者が滑走路でポジション・ライトを発見した。そちらの機から落ちたものと思われる」との連絡が入りました。
しかし、事故機の乗組員は「基地に戻ったら見てみる」と答えただけで、全く問題視しませんでした。管制官の連絡を受けてから二十九秒後に、別の原因(後部回転翼の接続ボルトの整備不良)で、機体は制御不能になり墜落しました。
報告書は、ポジション・ライトが事故機のもので、ホバリング(空中停止)点検の際(午後一時四十八分から五十七分の間)に落下したと指摘。その落下が「事故の原因となる要素ではなかった」としつつも、「粗悪で不完全な整備であったことを示している」と強調しています。
乗組員が部品の落下を全く気にかけなかったのも、事故の危険、周辺住民の安全を軽視していることを示すものです。