2004年10月15日(金)「しんぶん赤旗」
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“かつてイラクが大量破壊兵器を保有し、使用したことは事実だ”“イラクが国連査察を拒否したことが問題だ”イラク戦争開戦時、小泉純一郎首相が断言したイラクの「大量破壊兵器の保有」が誤りだったことが米国自身のイラク調査団の最終報告書で確定的となるなか、首相や政府はこう繰り返し、戦争を支持した判断は正しかったとの立場に固執しています。しかし、十四日の衆院本会議代表質問ではこの立場がまったく成り立たないことが、日本共産党の志位和夫委員長に対する首相自身の答弁で明白になりました。
竹下岳記者
イラクが大量破壊兵器を「かつて保有し、使用した」のはいつのことなのか――。米国のイラク調査団報告書は「一九九一年に基本的に破壊された」としているのにそれ以後も「保有し、使用した」とでもいうのか――。この質問に首相が「使用した」例として挙げたのは、(1)一九八三―八八年のイラン・イラク戦争(2)八八年三月、イラク北部のクルド人の町ハラブジャ――の二例。いずれも八〇年代の話です。結局、「一九九一年以降、イラクが大量破壊兵器を使用したとは承知していない」と認めざるを得ませんでした。
首相はこれまで、イラクが開戦時に「大量破壊兵器を保有している」と断定していました。しかし、「イラクが保有していた一部の大量破壊兵器が一九九二年以降、国連イラク特別委員会の監視のもとで廃棄された」と答弁。国連監視検証査察委員会(UNMOVIC)が二〇〇三年三月に大量破壊兵器保有の「疑惑」を指摘したことにしか触れることができませんでした。
首相は言及しませんでしたが、ブリクス委員長の〇三年三月の報告はイラクの大量破壊兵器保有の「疑惑」を指摘する一方、「手続き面での進展が見られた」「あと数カ月で結論が導き出される」として、平和的解決が可能との見通しを報告していたのです。
「査察拒否」の根拠には到底なりえません。国連安保理も査察拒否を認定していません。
しかし〇三年三月、ブッシュ米大統領がフセイン大統領(当時)に対し、「四十八時間以内の国外退去」を宣言。UNMOVICはイラク撤退を余儀なくされ、米英が一方的に査察を打ち切ってイラク戦争に踏みきったというのが経過です。