日本共産党

2004年10月24日(日)「しんぶん赤旗」

ここが知りたい特集 米政府のイラク調査報告

イラク大量破壊兵器 5つの作り話

米調査グループ報告ではっきり


 イラクの大量破壊兵器を捜索した米政府派遣の調査団、イラク調査グループ(ISG、ダルファー団長)の最終報告書は、イラク戦争開戦時、イラクが大量破壊兵器を保有せず、開発計画さえもっていなかったことを明らかにしました。ブッシュ米政権が主張した開戦理由は完全に崩壊し、戦争の大義をめぐる議論に決着がつきました。報告書が明らかにした、イラクの大量破壊兵器をめぐる五つのウソをみてみましょう。

 岡崎衆史、坂口明記者



保 有
「隠ぺいしていることは明白」
→91年の湾岸戦争後に兵器破壊

 ブッシュ大統領は二〇〇三年三月十七日のイラクに対する最後通告演説で、「イラクが、これまでで最も殺傷力のある兵器を保有し隠ぺいし続けていることは明白だ」と述べていました。

 ところがISG報告は、イラク戦争開始の十二年前の湾岸戦争後に「大量破壊兵器能力」が「基本的に破壊されていた」と指摘。兵器別に捜査結果を詳述しています。

写真
パウエル国務長官が昨年2月、イラクの核兵器開発の証拠として示したアルミ管の写真。その後、核開発用でないことが判明した(米国務省ホームページから)
写真
パウエル国務長官が昨年2月、イラクの生物兵器開発の証拠として示した移動式生物兵器製造施設。その後、生物兵器開発用でないことが判明した(ISG報告から)
開 発
「計画もち施設再建している」
→「証拠」なく計画さえなかった

 パウエル国務長官は、イラクの大量破壊兵器開発の証拠を列挙するために行った昨年二月五日の国連安保理での演説で、「証拠」写真なども示し、「フセインが核兵器開発をやめた証拠はない」「タリクに化学兵器製造施設を再建した」「九〇年代半ばに生物兵器の移動製造計画を開始した」と述べました。

 ところがISG報告は、フセイン政権が経済制裁解除後に兵器開発の「意思」はもっていたとしつつも、「国連の(九〇年からの)経済制裁以降イラク政権は、大量破壊兵器復活のための公式文書化された戦略、計画はもっていなかった」と明言しています。

 そもそも兵器製造段階に至っていなかった核兵器については「フセインは九一年に核兵器計画を終わらせた」とし、「それを再開させようとする努力の証拠は発見しなかった」と述べています。

 核開発の最大の物的証拠とされた強化アルミ管についても、核兵器開発用のウラン濃縮のための遠心分離機のためのものではなく、ロケット砲用のものであることを明らかにしました。

 化学兵器製造施設が再建されたというタリク工場については、「〇〇年三月に塩素・フェノール製造ラインの修復が始まり」「元の化学兵器関連の科学者が雇用され続けた」ものの、「これらの努力が化学薬品製造能力と結びついていたことを確認できなかった」としています。

 生物兵器についても、「経済が最低に落ち込んだ九五年後半に、イラクは現存していた生物兵器計画を放棄した」との判断を示しています。

 さらに「(生物兵器用の)アルハカム施設の破壊によりイラクは、発達した生物兵器を取得する野望を速やかに放棄した」と指摘。「九六年以降にイラクが新たな生物兵器計画をもったり軍事目的の作業をしたことを示す直接的証拠は発見しなかった」「九〇年代半ば以降、生物兵器をめぐる討論や関心は大統領段階では完全に欠如していたようだ」と述べています。

 「移動式生産施設」についても「徹底的な調査にもかかわらず、保有、開発の証拠は発見できなかった」としています。

グラフ
武 装
「解除の合意に系統的に違反」
→兵器の解体決めて進めていた

 ブッシュ大統領は昨年一月の一般教書演説で、「フセインは保身のために大量破壊兵器除去に合意したが、その後、十二年にわたり系統的に合意に違反し、化学・生物・核兵器を追求してきた」と断罪しました。

 ところがISG報告は、イラクが当初は兵器計画を隠ぺいしたものの、国連による査察が予想以上に強力で経済制裁の影響が大きいため、制裁解除を最優先課題として兵器解体を進めていたことを明らかにしています。

 化学兵器についてはイラクは、▽湾岸戦争終了直後の「九一年四月に、兵器査察は効果を上げないとみて計画の相当部分の隠ぺいを決めた」▽しかし「同年七月後半に特に踏み込んだ査察が行われた後、フセインは隠されていた化学・生物兵器物質すべての破壊を決めた」―といいます。

 生物兵器についても「九一、九二年に、未申告の兵器を破壊したようだ」と述べています。

 ISG最終報告 イラク調査グループ(ISG)は昨年6月からイラクで大量破壊兵器の捜索にあたりましたが、関連する証拠を見つけることができず、今年初めにはデビッド・ケイ団長(米中央情報局特別顧問)が「大量破壊兵器はない」と明言して辞任しました。

 今月6日に公表された最終報告は、昨年12月に拘束されたフセイン元大統領を含む旧政権幹部の聞き取り、現地調査、現地で入手した資料の翻訳などに基づき作成された、約1000ページの膨大なもの。

 ブッシュ政権のうそを暴いたのはもちろん、その言いなりにイラク戦争を支持してきた小泉政権の無責任ぶりも改めて示しました。


ISG最終報告の構成(大要)

 イラクの大量破壊兵器に関する中央情報局(CIA)長官特別顧問の包括的報告

《(フセイン)体制の戦略的意図》
 イラクの戦略的決定を下し、大量破壊兵器政策を決めたのは誰か
 イラク政府の機能へのフセインの影響
 フセインは部下にどう対応したか
 フセインは自分自身をどう見ていたか
 願望は、大量破壊兵器を通じての支配と抑止
 フセインの大量破壊兵器への隠された意図の把握
《体制の財政と物資調達》
《運搬システム》
《核兵器》
 核兵器計画の展開
 ISGの核問題調査結果
 ウランの追求と国内での生産能力の調査
 ウラン加工計画
 アルミ管調査
 潜在的遠心分離機関連施設の調査
 ウラン濃縮―電磁同位体分離
《化学戦争計画》
 化学兵器計画の展開
 指揮・統制
 基幹施設―研究開発
 基幹施設―製造能力
 兵器化
 化学兵器―武器庫の捜索
《生物兵器》
 生物兵器計画の展開
 研究開発
 兵器化
 生物兵器の隠ぺいと破壊

脅 威
「キノコ雲待つことはできない」
→対米関係改善を模索していた

 ブッシュ大統領は〇二年十月、「米国は、自国に対する募りつつある脅威を無視すべきでない。明白な脅威に直面しているにもかかわらず、その最終的・決定的証拠が(核兵器爆発による)キノコ雲となって現れるまで待つことはできない」と演説。イラクへの先制攻撃を主張しました。

 ところがISG報告は、イラクが大量破壊兵器を保有しようとした最大の狙いはイラン対策にあり、米国とは関係改善を模索していたことを明らかにしています。であれば、イラクが経済制裁解除後に兵器開発再開の「意思」をもっていたとしても、米国への脅威にはならなかったことになります。

 報告は「フセインは、イランに対抗するために大量破壊兵器が必要だと信じていた」といいます。これは▽イラン・イラク戦争でイランに攻撃された経験▽特にイラン軍の人海戦術に対して化学兵器使用で対抗し成果を上げたとの確信▽イスラム教シーア派の国であるイランが、シーア派が多数を占めるイラク南部を併合するとの懸念―などに基づいていました。

 イラクは、米国の軍事援助を受けて八〇―八八年のイラン・イラク戦争をしのぎ、九〇年のクウェート侵攻の直前まで米国とは友好関係を保っていました。その経験に照らし、九〇年代を通じ対米関係の改善を試みていました。

 ISG報告は、ほかならぬ団長のダルファー氏自身が、国連査察官であった「九四年から九八年の間に何度も、米国と対話したいとイラク高官から働きかけを受けた」と述べています。「イラクは米国にとり『文句なしに域内で最良の友人』となる位置にある」というのが誘いの言葉でした。

査 察
「国連は欺かれ続け破たんした」
→効果あげ兵器解体進んでいた

 ブッシュ大統領は〇三年三月の最後通告演説で、「国連査察官は長年、イラク政府職員に系統的に欺かれてきた。イラクを武装解除する努力は何度も破たんしてきた」と述べました。イラクは国連を欺き査察は何の効果も上げなかった、武力による政権打倒しか道はないとの宣伝でした。

 ところがISG報告によれば、イラクは半ば不承不承であれ、査察を解除してもらうため、兵器解体を進めていました。

 イラク戦争前の〇二年十一月に再開された査察では、イラクが十二月に申告書を提出しました。ISG報告によれば、この申告により安保理が禁止した射程を超えるアルサムード2型ミサイルの開発計画が発覚。その解体作業が〇三年三月に始まりました。

 ところが米英両国は、査察を続けよとの世界の大きな声を押しつぶして、戦争を強行しました。査察の有効性が証明されればフセイン政権を武力で打倒する機会を失うため、それを妨害するかのような開戦でした。

 ISG報告は、「査察を続けていれば問題は解決し戦争は避けられる」と世界の反戦運動が主張したことの正しさを裏付けています。



もどる
「戻る」ボタンが機能しない場合は、ブラウザの機能をご使用ください。

日本共産党ホームへ「しんぶん赤旗」へ


著作権 : 日本共産党中央委員会
151-8586 東京都渋谷区千駄ヶ谷4-26-7 Mail:info@jcp.or.jp