2004年10月29日(金)「しんぶん赤旗」
新潟県内の男性二人が、障害基礎年金の不支給決定取り消しと慰謝料の支払いを国に求めた学生無年金障害者訴訟で、新潟地裁(犬飼眞二裁判長)は二十八日、学生無年金障害者を生み出した制度について、法の下の平等を定めた憲法一四条に違反する、と認めた判決を下しました。判決は、無年金を放置した国にたいし、原告二人へ各七百万円、計千四百万円の慰謝料を支払うよう命じました。不支給決定取り消しの請求は認めませんでした。
原告は、新潟県三条市、阿部正剛さん(37)と新潟市小針、遁所(とんどころ)直樹さん(41)。阿部さんは、専門学校三年生(二十一歳)だった一九八八年一月、遁所さんは、新潟大学大学院生(二十四歳)だった一九八七年六月にそれぞれ事故に遭い、重度の障害を負いました。
しかし当時、任意加入だった国民年金に加入していなかったため、国は障害基礎年金を支給していません。
判決は、一九八五年の年金法「改正」のさい、国会は学生無年金障害者の問題を十分認識し改正可能だったにもかかわらず、そうしなかったことの過失を断罪。国に国家賠償責任を負わせました。
八五年「改正」法について、今年三月二十四日の東京地裁判決は「違憲状態を放置した」として原告一人五百万円の国家賠償を命じていますが、今回も学生無年金障害者を生み出した制度を違憲とする、国に厳しい判断が示されました。
原告の訴えを認めた二十八日の新潟地裁判決は、学生無年金障害者を生み出す仕組みを放置していた国と、立法府の国会の責任を厳しく指摘しています。
判決は、無年金障害者を生み出す内容を放置したとして一九八五年の年金法「改正」の違法性をとりあげました。
八五年の「改正」年金法は、公的年金に共通する基礎年金制度を導入する見直しをおこない、障害基礎年金をあらたに実施することを決めました。判決は、この見直しの際、学生無年金障害者が生まれる制度上の問題点を解決する責任があったはずとしたのです。
判決文では、「昭和五十年代の障害者団体による活動状況や昭和六十年(一九八五年)法の改正審議など立法経過に照らせば、昭和六十年改正当時には、国会議員においては、学生無年金障害者の問題については十分認識」できたとし、この時点で二十歳以上の学生を国民年金加入の「強制適用の対象とする法改正が可能であった」と強調。にもかかわらず、問題を放置したのは、「立法作為又は不作為を行なった」ことになり、原告らが障害基礎年金を受給できない結果を招いたことについて「過失がある」と断じました。そのことによって国は原告らへの国家賠償責任を負うとしました。
判決は、八五年当時、原告らが強制適用の対象となる法が施行されていれば、障害基礎年金の支給対象になっていたはずとのべ、多大な苦痛を与えたとまで指摘しています。
日本共産党は、多くの問題点を含んだ八五年「改正」には反対しました。
国会には、東京地裁の原告勝訴の判決を受けて先の通常国会で、与党、民主党からそれぞれ無年金障害者に関する議員立法の法案が提出され、継続審議になっています。
自民党、公明党などは給付減、負担増の年金法改悪には世論に逆らって熱中しましたが、無年金者の解決は先送りしてきました。新潟地裁判決で国会の責任を明確に指摘された以上、無年金者救済を急ぐのが国会の責務です。
日本共産党は超党派の国会議員でつくる無年金障害問題を考える議員連盟に参加し、一刻も早い解決のため力を尽くしてきました。
学生無年金障害者は全国九地裁に三十人(東京、新潟地裁原告を含む)が原告となって訴えていました。全国で学生無年金障害者は四千人といわれています。六十歳前後の人もおりその生活を支える両親は高齢になっています。一日も早い解決が求められています。
鈴木進一記者
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学生無年金障害者 国民年金は二十歳からの加入ですが、学生は一九九一年三月まで二十歳以上でも任意の加入とされました。このため、加入していない間にけがや重い病気で障害を負い、障害基礎年金が支給されない無年金障害者が多数生まれ、各地で裁判となっています。九一年四月から学生も強制加入になり、二〇〇〇年四月からは「保険料支払いは社会に出てから」という「学生納付特例制度」が導入されています。