2004年11月27日(土)「しんぶん赤旗」
自民党の憲法調査会がまとめた「憲法改正大綱」原案が十一月十七日、同会起草委員会に提示された。保岡興治会長の十月の講演によれば、十二月末までにこの「大綱」を決定し、来年春までに条文もある程度固めた「要綱」を、九月までには改正憲法の全条文を示した「改正草案」をまとめ、十月中ごろまでに党議決定としたいスケジュールだという(「赤旗」十月二十日付)。〇五年十一月の結党五十周年に自民党の憲法改正案をという小泉首相の指示が、いよいよ具体的な策定局面に入ったということである。
政党として最初の、しかもブッシュ米政権と財界のいいなりに九条を改悪して日本を戦争できる国にとめざす政府与党の改正案であり、徹底的な批判の対象とする必要がある。
A4判三十二ページの草案全文を読んだ。この文書は、自民党改憲派の主張のほぼ全貌(ぜんぼう)を公にするとともに、その本質、矛盾、欺瞞(ぎまん)、策謀をもあらわにした、きわめて興味ある重要文書といえる。以下、とりあえず私が感じた主要点をのべておきたい。
第一は、自民党が九条改悪に絞らずに新憲法の策定を選ばざるをえなかったことで、これは自公民三党間で収拾のつかない大論争ともなりかねない矛盾の表面化でもある。
九条改悪こそ改憲の核心であることは、集団的自衛権行使を要請したアーミテージ・リポートが今回の攻撃の発端となった事態で明らかである。ところがあいにく各種世論調査では「九条はそのまま」の意見が六割を超えており、九条に限ると国民投票で改憲派敗北の確率が高い。しかし「環境権」や「プライバシー権」など新しい問題の登場で憲法改正自体は賛成が過半数に達するという世論傾向があるため、改憲派は幅広い改憲を当面の目標とするにいたった。幅広い改憲となると自民党の場合、現憲法とは根本的に相いれない体質のため、結局保守思想丸出しの新憲法作成に向かってしまった。民主党も「中間報告」に「グローバル化・情報化の中の新しい憲法のかたちをめざして」と副題をつけており、国会での憲法改正論議の第一幕は、九条を最大の焦点としつつも互いに新憲法をめざして全条文にわたる法的、思想的討論となりそうな予想外の情勢となりつつある。
第二に、核心の九条については、第四章「平和主義及び国際協調」、第八章「国家緊急事態及び自衛軍」という二章構成となっている。「赤旗」の十一月二十日付主張「国民を踏みつけ、平和こわす」が的確に批判したように、アメリカと財界の注文どおり、集団的自衛権の行使を認め、「国際貢献」の名で米軍追随の武力行使を容認した最悪の改憲案である。ところが条文にははっきりと書かない欺瞞的なやり方がとられている。本音は、第一節「平和主義」の戦争放棄の項目についての※印注(十三ページ)で初めて出てくる。
「『自衛(これには、当然に、個別的・集団的自衛の両者が含まれる)』や『国際貢献(国際平和の維持・創出)』のための武力の行使は、禁止されておらず、容認されることになる」。「以上の説明を踏まえて本条項の趣旨を端的に説明するとすれば、本条項は、いわゆる『制限された(集団的)自衛権を認める』という立場に立つことを明確にした規定であるということができる」。注を読まなければ不明という欺瞞ぶりは尋常でない。
第八章の「国家緊急事態」とは「防衛」「治安」「災害」の三つで、「治安緊急事態」は「テロリスト等による大規模な攻撃その他」となっており、いずれの場合も内閣総理大臣布告によって国民の基本的権利・自由が制限される。有事立法の憲法化にほかならない。
第三の大問題は、自民党案が国民が国家権力を制約する近代憲法の本質を否定して、政府が国民を縛る憲法に大改悪しようとする立憲主義否定の立場に立っていることである。
イギリス、フランスで成熟していった近代憲法は、「最高法規として、国家権力を拘束し制約する根本法として存在し、恣意(しい)的専制を抑止するものである」(法学協会『註解日本国憲法』下巻、一四五九ページ)。憲法第九九条が「憲法尊重擁護の義務」を「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員」だけに負わせ、国民には負わせていないのは、こうした近代憲法の本質からきている。今回の自民党草案は、九九条に新たに第二項を設け、国民に尊重・擁護の「責務」を負わせている。万が一、自民党案が新憲法となったら、その反動的・軍国主義的内容に反対する国民は、憲法尊重擁護義務違反の罪をもって訴追されるという恐るべき事態が生まれることとなる。
個別的にも、自民党案は、現憲法とは異なって国民に多くの新しい責務や義務――「国家の独立と安全を守る責務」、「社会保障その他の社会的費用を負担する責務」、愛国心のかん養、「環境保全の責務」、条約及び国際法規にたいする義務、国家緊急事態における基本的権利・自由の制限などを負わせている。
しかしたとえば社会保障について現憲法は、第二五条第一項で国際的にも先駆的な国民の生存権を規定し、第二項では「国は…社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」と国に義務を課している。自民党案は社会保障まで国民に責務をおわせて国の責任は省かれている。あまりに露骨な逆転ぶりではないか。
第四に、自民党案の政治的本質は復古的国家主義であり、天皇を「元首」に祭り上げる明治憲法的方向の反動案にほかならない。とんでもない時代錯誤というほかない。
六月発表の「論点整理」には、こういう文章があった。
「新憲法は…現憲法の制定時に占領政策を優先した結果置き去りにされた歴史、伝統、文化に根ざしたわが国固有の価値(すなわち『国柄』)や、日本人が元来有してきた道徳心など健全な常識に基づいたものでなければならない」
今回の草案の※印の注(二ページ)に「本憲法草案の第一のポイントは、我が国の『国柄』を体現した憲法でなければならないことを明記している点である」とわざわざ特記してある。その「我が国の『国柄』」について、第一章の総則の※印の注(四ページ)は「我が国の『国柄』を象徴する天皇制」と解説している。しかも天皇は第二章「象徴天皇制」で「元首」に祭り上げられた。「天皇は、日本国の元首であり、日本国の歴史、伝統及び文化並びに日本国民統合の象徴」という驚くべき規定が盛り込まれている。「元首」とは「国の首長であり、主として、対外的に国家を代表する資格を有する国家機関」(宮沢俊義『日本国憲法』四八ページ)のことだから、「国政に関する権能を有しない」という現行規定は残してあっても、天皇の地位と権限の強化のねらいは明白である。こうした天皇の明治憲法的方向の絶対化をかなめとした「国柄」体現が、なんとこの草案の「第一のポイント」というのである。
「毎日」十一月二十一日付の社説「読んで心がはずまない」はなかなか面白かった。いわく「通読して思うのは、改憲への熱気が伝わってこないことだ。むしろ古色蒼然(そうぜん)の趣すら感じる」、「感動のわかない今回の自民案が国民の心をとらえたとは思えない」。
アジアから批判の声も強まっている。戦争できる天皇制「国柄」をめざす自民案を痛烈に批判し、国民の心をとらえる憲法論、九条論をぜひ積極的に展開したいものである。
(日本共産党憲法改悪反対闘争本部長)