2004年12月10日(金)「しんぶん赤旗」
北朝鮮が拉致被害者・横田めぐみさんの「遺骨」として提供した骨が別人のものであったと公式に確認されました。これを受け、日本共産党の志位和夫委員長は九日、日朝両国政府間の協議で、拉致問題に十分な責任を負い、権限を持つ人物を交渉の場につけることを北朝鮮政府に要求するよう小泉純一郎首相に申し入れました。この間の日朝協議の経過からみても、この点が拉致問題解決への重要なポイントとなっています。
二〇〇二年九月十七日の日朝首脳会談で、北朝鮮の金正日国防委員長が長年否定してきた拉致の事実を認め、謝罪したのを受け、日本政府は調査団を派遣(同九月二十八日―十月一日)し、情報収集に努めました。しかし、北朝鮮が提供した情報は限定的で、疑わしいものでした。
調査団は、北朝鮮側が提出した「松木薫さん(欧州留学中の一九八〇年に失そう)のものと思われる」という遺骨を持ち帰りましたが、日本側の医学的鑑定の結果、別人のものでした。松木さんについては、今年十一月の実務者協議のさいにも、北朝鮮側の案内で「埋葬場所」とされた場所を掘り返し、骨を持ちかえりましたが、これも別人のもの。遺骨をめぐるウソが繰り返されました。
安否不明の拉致被害者十人についての北朝鮮の調査結果は、最初に二〇〇二年九月に示されました。二回目の今年十一月の説明では、北朝鮮側は多くの虚偽が含まれていたことを認め、訂正しました。死亡とされた八人の死亡診断書について、北朝鮮側は偽造であったことを認めました。その「訂正」とともに示された新たな物証のなかで、中心というべき横田めぐみさんの「遺骨」がニセだったのですから、事は重大です。
虚偽に次ぐ虚偽、ウソとでたらめとしかいいようがない説明を繰り返す北朝鮮側の対応は、この交渉にのぞんでいる北朝鮮側担当者の当事者能力の欠如を、如実に示しています。
二〇〇四年五月二十二日の小泉首相再訪朝で、金国防委員長が「白紙に戻して安否不明の拉致被害者に関する再調査」を約束。日朝間の交渉の場は日朝実務者協議となりました(第一回=八月・ジャカルタ、第二回=九月・北京、第三回=十一月・平壌)。
第一回、第二回の協議について、外務省の藪中三十二アジア大洋州局長は、「(北朝鮮側は)外務省の担当者だけが出ていて、質問すれば、『調査委員会にきかなければいけない』、ということだった」とのべています(十一月十八日、衆院外務委員会)。
この「調査委員会」は、金国防委員長の「約束」に基づき設置されたもので、「共和国(北朝鮮国家)の決定として設立し、調査の権限を与えられている」(藪中局長、同)という説明です。
ところが、外務省の説明によれば、第二回協議で北朝鮮側代表のソン・イルホ外務省副局長は、「六月に設置した調査委員会で一生懸命調査しているが、拉致にかかわった特殊機関の協力が得られず、調査が難航している」と、くりかえしのべています。「調査委員会」そのものが、どこまでの権限をもって、事実関係を調べられるのか疑わしいのです。
今回、ニセ「遺骨」が提供されたのは、十一月九日から十四日に行われた第三回協議です。
この協議についての外務省の概要報告は、協議に臨む日本側の基本方針として、「これまで行ってきた2回の実務者協議では、…北朝鮮外務省職員が我が方からの質問にその場で答え、口頭で概要説明するにとどまり、極めて不十分なものであった」としたうえ、「(北朝鮮側)『調査委員会』の責任者の協議への出席」をとくに求め、疑問をつきつけながら、真相の究明を求めたことを記しています。
この日本側の要求にこたえて、北朝鮮側から協議に臨んだのは、「調査委員会」責任者のジン・イルボ人民保安省捜査担当局長でした。しかし、北朝鮮側の責任者であるはずの同氏は、協議で「相当時間の経過した事案であって、関係者が死亡していた、そしてまた、特に特殊機関の関与した事案であり、その際に関係文書が拉致当事者により焼却されていた、このため捜査が極めて難しかった」と、弁解する態度をとりました(十一月十七日、参院拉致問題等特別委での藪中局長の答弁)。
こうした経過をふまえれば、これまで北朝鮮側が日本との交渉の窓口にすえた相手は、「調査委員会」を含め、拉致問題の全ぼうを知り、責任と権限、当事者能力を持った人物といえるのか、きわめて疑わしいといわざるをえません。
日朝交渉を拉致問題の真相解明と解決に役立つものにするためには、日本共産党が求めた方向で、北朝鮮政府に責任ある人物が交渉の席につくことを要求することが不可欠になっています。