2004年12月24日(金)「しんぶん赤旗」
いまイラクでは、全土での武装勢力の蜂起に加え、外国民間人の拉致・殺害事件が相次いでおり、ジャーナリストの現地取材は極めて制限されています。このような条件のなかでも、「しんぶん赤旗」はイラク戦争の実態を告発するためにさまざまなネットワークをつくることに努力してきました。
「しんぶん赤旗」によるファルージャ総攻撃取材の起点となったのが、今年九月半ばにレバノンの首都ベイルートで開催された反戦国際会議取材でした。イラクからも宗教者、弁護士、ジャーナリストなど二十人以上の代表団が参加しており、彼らと交流したことが、その後カイロからの電話取材をすすめるうえで大きな力となりました。
「しんぶん赤旗」がこの間、反戦国際会議参加者からの紹介や独自のつながりを生かして伝えたイラク人の声は、宗教者、学者、評論家から家庭の主婦にいたるまで数十人に上りました。記者が実感したのは、米国による占領とファルージャ攻撃にたいするイラク人の心の底からの怒りとともに、世界最古のメソポタミア文明を生んだ祖国にたいする誇りやイラク人としての自信でした。
イラクでは、ファルージャ総攻撃をおこなう米軍を無条件に支持し自衛隊の派兵延長を決めた日本政府への批判がかつてなく高まっています。ここでも、一般のイラク人が、本質をついた意見を表明しています。
バグダッドのある主婦は「日本政府は国民の利益よりも米国との間の利益のほうがより重要だと考えています」とのべたうえで、「重要なのは、外国軍を撤退させ、私たち自身の手で政府を選び、イラクを復興させることです」と力を込めました。自衛隊が駐留する南部サマワの青年は「自衛隊がやっている学校のペンキ塗りや道路の補修はサマワ住民にはできないとでもいうのか。われわれをばかにしている」と語りました。
イラク戦争で崩壊した旧フセイン政権は独裁体制を敷き、反対する国民を激しく弾圧する一方、教育ではアラブでも先進的な制度をつくりあげていました。イラクの女性運動家によれば、旧体制下で女性の社会進出もめざましく、閣僚、大学教授、医師などに多くの人材を輩出しました。大学教授に占める女性の比率はアラブの中でも断トツでした。
フセイン独裁体制のもとでイラク人の圧倒的多数は自由な意見表明の機会を奪われ、自らの生存のためにそれを受け入れてきました。しかし、教育水準からしてもイラク人が米軍の無法で理不尽な占領と抑圧を黙って受け入れる余地など初めからなかったのです。米国がイラク人の国民性や感情など一切理解しようとせず、いまだに戦争を続けていることが泥沼化をもたらしていることは明白です。小泉大介記者 (つづく)