2005年1月1日(土)「しんぶん赤旗」 新春トーク志位委員長と松井朝子さん(パントマイミスト)「戦争のない世界」をつくる史上空前の流れがイラク戦争 怒りの表現に割れるような拍手志位 明けましておめでとうございます。
松井 おめでとうございます。志位さんにお会いできて、ほんとうにうれしいです(笑い)。それから私のパントマイムを見てくださってありがとうございます。 志位 パントマイムって、言葉も道具もない、身体表現だけであれほど深い感動が伝えられるのか、と驚嘆して見ました。「壁」というマイムがありますでしょう。見えない「壁」が迫ってきておしつぶされそうになる。「ああつぶされる」。観客は息をのむ。その緊迫感はすごい。言葉がない分、心に直接に強く響いてきます。伝えたい心があって身体表現が出てくるという感じが強いのでしょうか。 松井 そうですね。心と、何を伝えたいか、平和なら平和、怒りなら怒りを非常に突き詰めて考えて、それを身体表現として組み立てていきます。マイムというと、ものまねだけとか、言葉を代弁しているイメージがあります。でも、実はとても物事の本質的な部分を凝縮して表現するものなんです。
心を伝えることの大切さでは、あい通じるものが
志位 私は、市村正親さん(俳優)の「クリスマス・キャロル」を見にいったんですが、一人芝居なんです。台詞(せりふ)とパントマイムで演じていくうちに、たくさんの家族がいるように見えてくるんですよ。クラシックバレエ、モダンバレエでも、パントマイムの表現は欠かせませんね。パントマイムは、いろいろな舞台芸術の基礎的な技術にもなっているということを、あらためて感じました。 松井 海外の演劇学校とかバレエの学校では、たいていマイムは必修科目に入っているんです。ところで志位さんは、音楽をずっとやっていらっしゃるとうかがっていますけれど。 志位 もっぱら聴く方ですが(笑い)、大好きです。音楽というのも言葉がない。それだけにこのコミュニケーションの手段というのは、人間の心の奥底に直接訴えかけてきます。言葉というのは、論理をつむぐことができて、気持ちを伝えるとともに、論理の衣装を着たりもしますよね。しかし、パントマイムにしても、音楽にしても、言葉がない分、ストレートに相手の心にどーんと伝えられる表現手段なのかなと思いますね。 松井 わあー、うれしいです(笑い)。政治の世界というのは言葉ですよね。私、志位さんをテレビで拝見していてすてきだなあと思うのは、小泉首相を追及されるところなんですよ。相手が答えをはぐらかしていくところをぐいっと追い詰めていく。論理で一つひとつその間違いを明らかにしていく。ほんとうに見ているとスカーっとして。 志位 ありがとうございます(笑い)。私たちの仕事では、言葉によって論理をしっかり組み立てて、道理を説くことが基本です。同時に、その言葉に、自分の感動なり気持ちをのせていくことができるかどうかが、生きた言葉になるかどうかの大きなカギだと思っています。演説でも、理屈の話とともに、私の感じている怒りなり、喜びなりがうまく表現できて、心が伝わらないと、ほんとうの意味で共感が得られない。ここはいつも苦心したり反省したりして、やっていることですが。いま「生きた言葉・生の声」で党を語ろうという運動をやっていますが、ここをおおいに心がけたいと思っています。 松井 気持ちを伝えることが大切ということでは、通じるものがあるんですね。
無法な戦争をすすめたものの足場が崩れ、孤立が深まった
松井 私、イラク戦争がおきてから「戦争と平和」という作品を作ったんです。もしいま私が目に見えない風船で空に飛んで、突然飛ばされて落ちたところがイラクの上だったらっていう設定なんですよ。もしファルージャの上に落ちたら、小さな子どもたちも無惨に殺されているだろう、自分も逃げまどうようになるだろう、そこからどうやってまた立ちあがっていったらいいんだろう、というようなことを、象徴的にあらわしました。そのなかで怒りを爆発させる演技があるんですが、そこでお客さまから、突然割れるような力づよい拍手が返ってきました。 志位 あまりに理不尽な虐殺にたいする深い怒りを、多くの人々がもっていることが、そういう形であらわれたんでしょうね。 松井 イラク戦争の現状をどう見たらいいんでしょう。 志位 イラク戦争から二年、自衛隊派兵から一年でふりかえってみますと、無法な侵略戦争をすすめたものたちの足場が崩れ、世界で惨めな孤立をいよいよ深めたということが、はっきり見えてくると思います。 一つは、戦争の「大義」としていたことが崩れた。「大量破壊兵器をフセインがもっている」といって戦争を始めたけれども、とうとうアメリカの調査団が、「開戦時にイラクは保有しておらず、開発計画もなかった」という判定を下しました。 二つ目は、アメリカが世界中に圧力をかけて、「この戦争に賛成しろ」といって集めた「有志連合」が崩壊を始めた。戦争に賛成した「有志連合」なるものは、世界の百九十一の国連加盟国のなかで、四十九しかない。人口でいうと、世界人口六十二億人のうちたった十二億人です。 松井 ええっ、そうなのですか。十二億人。 志位 そうなんです。しかも、そのうちイラクに軍隊を送ったのは三十七カ国です。人口でいうと十億人です。さらに、派兵国のうちスペインをはじめ九カ国がすでに撤退しています。それ以外にオランダなど七カ国が撤退表明ないし派兵見直しを表明している。この十六の国をのぞくと、頑固に派兵をつづけようというのは二十一カ国しか残らない。人口でいうと七億人です。 松井 ほんとうに世界の一握りですね。 志位 ええ。そして三つ目は、無法な戦争と占領が、イラクの状況をうんと悪くしました。占領支配が深い矛盾に陥ってしまっている。松井さんが言われたファルージャ虐殺は、最大の象徴ですよね。 ファルージャというと、フセイン政権を支持していた町のようによくいわれるけれど、まったく事実と違うんです。ファルージャ西のラマディでは反フセインのクーデター未遂事件がおこったこともあるくらい、この地域はフセイン政権と関係が悪かったといわれます。最初に米軍が入ってきたときには、歓迎の声もおこったそうです。ところが、そこに米軍が入ってきてやったことは、小学校を占拠してたくさんの人を殺すことだった。そこから米軍への激しい抵抗がおこっていった。それを恐ろしい無差別殺りくでふみつぶそうとしている。そうすれば、ファルージャがイラク全土に広がることになります。これはほんとうに先のない泥沼だと思います。 松井 自衛隊をイラクに派兵する大前提が崩れてしまっていますね。それなのに小泉首相はアメリカに一度も「ノー」といわない。今回のファルージャの殺りく作戦を「成功することを願う」とまでいったわけですからとても恐ろしいです。
「国連憲章にもとづく平和の秩序」が広大な国々の共同の旗印に
志位 許せません。ただ私は、そういうアメリカのイラクでの無法が、世界では通用しない、いよいよ孤立するというところが大切なところだと思います。 松井 なるほど。世界では孤立すると。 志位 私は、世界を大きく見ますと、二十一世紀になって、「戦争のない世界」をつくろうという人類史上空前の流れがおこっていると思うのです。 そのことは、たとえば一九六〇年代から七〇年代のベトナム侵略戦争と、今度のイラク戦争をくらべてみるとよくわかります。ベトナム侵略戦争のときは、平和のための国際的共同の旗印は、「アメリカ帝国主義反対」でした。この旗印でいろいろな平和勢力が共同して勝利をかちとった。 しかしいま旗印となっているのは、もっとはるかに広い人々を結集できる「国連憲章にもとづく平和の秩序をつくろう」という旗印なのです。この旗印だったらアメリカと親密な関係にある国や、フランス、ドイツのようなアメリカと軍事同盟を結んでいる国とでも一致できる。世界の圧倒的多数の国や勢力が一致できる。 松井 すばらしい旗印ですね。私たちってつい、アメリカ側の報道に押し流されて、憎しみが憎しみを生んで、もう未来がないみたいな、あきらめのような気持ちをもってしまう部分ってある。でも、世界の情勢を大きく見つめたとき、そうではない。 志位 そうですね。それからもう一つ。今度の戦争くらい、国連が、超大国の行う戦争に、「待った」をかける力として、強力な働きをしたこともない。これも史上空前だったといっていいと思います。ベトナム戦争のときは、国連は、まったく無力でした。しかし、今度は、アメリカがイラク戦争のお墨付きの国連安保理決議を求めたときに、国際社会はきっぱり拒否した。お墨付きを与えなかった。だからアメリカの戦争は、国連憲章の外の、無法な戦争、侵略戦争という烙印(らくいん)をおされることになった。国連が、超大国の戦争を、無法なものと拒否したことも、人類史上初めてのことなんですね。 松井 世界はずいぶん変わっているんですね。 志位 世界の構造の大きな変化がおこっている。戦後独立をかちとった旧植民地諸国が、非同盟諸国首脳会議やイスラム諸国会議機構などに結集して、世界平和のなかで重要な役割を果たしています。中国、ベトナム、キューバという社会主義をめざす諸国が大事な役割を果たしています。さらに、フランス、ドイツ、ロシアなど資本主義諸国の有力な国々もそういう戦線の中に入ってくる。こういう広大な戦線が、いまつくられています。これに「対抗」してアメリカと日本がくっついている(笑い)。どっちの側に未来があるか、去年一年間を通じて、いよいよはっきりしたなと思っています。 松井 未来の見えない方にくっついているから、先がすべて見えないようになっていくわけですよね(笑い)。逆にそうでない部分から物を見ていけば、ほんとうはもっと明るい展望が見えるのに。 志位 そうですね。小泉政権は、「国際社会」といったらアメリカしか見ないものだから、世界でおこっている希望ある変化が全然目に入らない。視野に入ってくるのは、戦争と危険が充満する恐ろしい世界しかない。そこでいよいよ軍事で身構える。この道は未来がありませんね。
この条項にこめられた二つの意味をかみしめて
松井 いま、憲法を変えよう、とくに戦争放棄をうたった九条を変えようという動きがあります。世界に先駆けて人間が幸せに生きていくための理想、それを具体的にどうつくっていくかという道筋まで示している憲法を変えるということは本当に恐ろしいと思うのです。実は、私が住んでいる東京・三鷹市でも「九条の会」ができました。昨年十一月に市内で文化的な活動をしている方などが呼びかけ人になって発足したんです。私もその一人です。 志位 そうですか。「九条の会」はいま全国的にものすごく広がっています。たとえば、長野県信濃町の「九条の会」には、呼びかけ人に町議会議長を含む十七人の町議全員、それから農業委員会会長…。 松井 町議会の議長さんも! 志位 区長、住職、前野尻湖観光協会会長、前老人会会長、前議長、元高校PTA会長など百十三人が名を連ねています。 松井 見事ですね。「九条の会」が東京、大阪、京都、仙台、札幌、那覇で開いた講演会に、あふれんばかりの人たちがいらしているのを「赤旗」で知りました。九条というものの大事さ、いいたいことがいえない時代に逆戻りする恐ろしさというのをみんな感じてらっしゃる。九条を変えることで、日本を戦争をできる国にしちゃいけないと。 志位 私は、憲法九条には、二つのものが込められていると思っています。 一つは、日本が二度と戦争をする国にはならないという国際公約≠ナす。あの戦争で二千万人を超えるアジアの人々、三百十万人の日本の人々が亡くなった。こんなむごたらしいことを二度と日本はしない、永久に平和な国になるという世界への誓いが九条に込められている。 松井 そう。誓いですよね。 志位 もう一つは、日本は、世界に先駆けて、戦争放棄と軍備禁止という一番正しいことをやった、世界平和の先駆になろうという決意です。これは、一九四七年八月に文部省が出した『あたらしい憲法のはなし』です(復刻版を広げる)。これを読むと、「これからさき日本には、陸軍も海軍も空軍もないのです。これを戦力の放棄といいます。……しかしみなさんは、けっして心ぼそく思うことはありません。日本は正しいことを、ほかの国よりさきに行ったのです。世の中に、正しいことぐらい強いものはありません」。 松井 私も読みました。ここがいいですよね。文部省がつくったものなのに。(笑い) 志位 憲法九条にこめた二つの意味にてらしてみますと、第一に、いまおこっている憲法改悪の動きは国際公約破りそのものです。韓国では、ウリ党、ハンナラ党、民主党など超党派の国会議員が会をつくって、自民党の改憲案を強く批判する声明を出しています。声明では「改憲は過去の侵略に対する痛切な反省なしに、再び日本を戦争国家化し軍事大国の陰謀を実現するための具体的な行動である」と反対しています。 第二に、世界に先駆けて「正しいこと」を行ったという点でいうと、「戦争のない世界」をめざす人類史上空前の波がおこっているときに、憲法九条を変えるというのはどんなに時代錯誤か。 松井 ほんとうに! ひどい時代錯誤です。 志位 一九四七年の時点では、日本は「正しいこと」を先駆けてやった特別な国だった。ところが、二十一世紀になってどうでしょう。二〇〇〇年の国連のミレニアム・フォーラム報告書では、「各国は、日本の憲法九条のような戦争放棄条項を、憲法にもりこむべきだ」とのべられたわけですね。世界が憲法に九条を取り入れようと言っているときに、本家である日本の九条を取りはずしちゃったら…。 松井 世界の流れに逆行しますよ。 志位 今年は憲法を守るたたかいに、いよいよ本腰を入れてとりくむ年にしたいと決意しています。草の根で「九条の会」がもっともっと広がって、改憲のたくらみを包囲するという年にぜひしたいですね。 松井 長野県信濃町の話など勇気が出ます。ほんとうにみんながそういう気持ちを持って行動に結びつけていくことが大事ですよね。
「人間の自由な発展を基本原理にする社会」への熱い共感
松井 志位さんが、東京新聞に、好きな言葉として、「人間の自由な発展を基本原理とする社会」(マルクス)をあげていましたね。私は、とても共感しています。 私は、子どものときから、人間って無限の可能性があるんだ、とずっといわれて育ってきました。点数や競争のために勉強するのでなく、自分の能力を豊かにしていきたいから学ぶ、という理想を掲げた学校にいっていたからです。でも残念ながら学校がその理想教育を転換していった。それなら自分たちでそういう学校をつくることにしました。十四歳のときです。 志位 それがフリースクール「寺小屋学園」ですか? 松井 はい。「生徒の生徒による生徒のための学校」というような…。いろんな人と議論をたたかわせながら、みんなが納得いく答えを見つけていく。それが「寺小屋学園」の理念でした。ですから、「人間の自由な発展を基本原理とする社会」という言葉を聞いたとき、ものすごく心が震えるぐらい感動しました。 志位 私たちは、一人ひとりの人間は、ほんらい無限の可能性をもっていると考えています。でも資本主義の世の中では、自分のほんとうの資質、才能、可能性を十分にのばしていくチャンスに恵まれる人というのは、ごくわずかです。多くの人たちは、すばらしい可能性をもっていながら、埋もれてしまう。 松井 それはほんとうに実感します。 志位 日本共産党は、新しい綱領で、私たちがめざす未来社会――共産主義・社会主義の社会への変革の中心は、生産手段――機械、工場、土地など生産のために必要なものを、社会全体の所有に移すこと(生産手段の社会化)にある。これによって、人間による人間の搾取をなくし、すべての人々の生活を向上させ、貧困をなくすとともに、労働時間を抜本的に短くして、すべての社会の構成員の人間的発達を保障する社会への道が開かれる。これは私たちの大先輩のマルクスが未来社会にたくした最大の目標でしたが、ここに大きな焦点をあてたんです。 資本主義の社会というのは、もうけ第一の社会でしょ。だから生産力が増大しても、労働者を減らして、残った労働者にまた長時間労働をさせるということになる。生産力の発展が人間の自由や幸せに結びつかないわけですよ。 松井 そうですね。 志位 ところが社会が生産手段を握って、社会全体の利益のために活用する未来社会になったらどうなるか。生産力が増大したら、それを二つの分野に計画的にふりむけることができるようになる。一つは、社会の富をもっと豊かにするために活用する。もう一つは、労働時間を短くして、労働者の自由時間を増やすために活用する。それを計画的なだんどりをもってすすめられるようになれば、労働時間は抜本的に短くできる。週で二日、三日働けば十分というぐあいに。そうなれば、その他の自由時間を使って、文化、芸術、科学、技術、スポーツなど、自分のなかにある才能、資質、可能性を、のびのびとのばすことができるようになる。 松井 わあ、そんなふうになったら、どんなにいいでしょう。 志位 すべての人に、そういう発展を保障する社会になったらどうでしょう。たくさんの芸術家や科学者も生まれるでしょう。それが社会全体の活力をすばらしく発展させることにもなるでしょう。私は、これこそほんとうの人間の自由と解放だと思います。このことを新しい綱領で正面から打ち出したんですが、それが若い人たちを中心に大きな反響をよんでいるんです。 松井 わかります。芸術の世界でもそうなんです。人間の心の真の解放というのが、やはりほんとうの幸せに結びついていく。ですから若い方が共感しているというのは、人間が本来求めている幸せ、生き方を示しているからじゃないかなあと思います。自分が何でいちばんその能力を発揮できるか、自分でもわからないときがある。でも、社会自体がそれを保障する社会であれば、そこを見つけて、さらに発展させていける。それは、その個人のものだけではなく、社会全体のものになっていくわけですよね。ほんとうにすばらしいなあ。無限の可能性がありますね。 志位 いま若いみなさんが、働きがいのある仕事をもてないで苦しみ、さまざまな運動に立ちあがっている。そういうなかで、労働時間の抜本的短縮、人間の全面的発達を可能にする社会というのは、新鮮な響きをもって心につたわるのではないかと思います。さらに、「サービス残業」をなくそう、長時間労働をやめさせようというたたかいは、資本主義の枠内での民主的改革のたたかいですが、同時に、このたたかいは未来社会につながっていくものでもある。人間の自由な発展のための自由な時間をかちとっていくたたかいと位置づければ、大きな人類史的な意義、ロマンをもったたたかいにもなってきます。 松井 ずいぶん大きな展望が見えてくる話ですね。 志位 未来への大きな展望をもちながら、目の前にある熱い課題にとりくみ、今年を国民にとってよい年にするために、がんばりたいと思います。 |