2005年1月1日(土)「しんぶん赤旗」 憲法をこの手に命の大切さ教えてきたから戦死した教え子への誓い胸に高知で広がる「九条の会」母と子に 戦争の惨再びを 負わせてならじ憲法改悪
高知県教育会館のなかには、巨大な額に入った一つの詩が飾られています。高知の中学教員だった竹本源治が一九五二年に高知県教職員組合の機関誌に発表した「戦死せる教え児よ」です。 「逝いて還らぬ教え児よ 私の手は血まみれだ! 君を縊(くび)ったその綱の 端を私も持っていた しかも人の子の師の名において 嗚呼! 『お互いだまされていた』の言訳が なんでできよう 慙愧(ざんき)、悔恨、懺悔(ざんげ)を重ねても それが何の償いになろう 逝った君はもう帰らない 今ぞ私は汚濁の手をすすぎ 涙をはらって君の墓標に誓う 『繰り返さぬぞ絶対に!』」 「こうち九条の会」の呼びかけ人のひとり、高知県退職教職員協議会会長の竹村昭三さん(77)はこの詩を前に「ここに全国の教育運動と、高知の教師の活動の原点がある」と語ります。 信条
「戦争にいいも、悪いもない。どんなことがあっても戦争をしてはいけない」 須崎市長や自民党県連総務会長などを歴任した梅原一さんも、みずからの信条をこう語ります。梅原さんは、政界へ出る前は、高知女子大学バレー部監督を二十五年間務めるなど二十七年間教べんをとりました。 十五歳で、松山海軍航空隊に志願・入隊した当時、「天皇のために命を捨てることが国のためだと信じていた」といいます。「十五歳の子どもが、命を粗末にすることを正しいと信じていた。教育の力はいかに恐ろしいものかということです」 その思いを胸に「私は子どもたちに命の大切さを教えてきたつもりです」と語ります。 「憲法と教育基本法からはずれた間違った政治と、それに妥協する政治が、日本の教育を破壊し社会を荒廃させてきた。そこを正すことなく『改正』を論じても何の意味もありません」。梅原氏は語気を強めました。 竹村さんも、「同年代の退職教員なら、みな戦争の傷跡の上を歩いてきた。県教組副委員長を務めた共産党の山原健二郎さんを衆院議員に十期連続当選させるたたかいもあった。その経験と教訓を、いま改憲阻止の取り組みに生かしたい」と唇をひきしめます。 機会高知では昨年、高知市、土佐市、野市町で「九条の会」を結成。今年も、土佐山田町、南国市、中村市などでも近く結成が予定されています。 十二月に誕生した「こうち九条の会」も、新年早々から宣伝・署名活動や、各地の運動の交流に取り組む予定です。三月をめどに大規模な講演会を開き、県議会にも働きかける計画です。 結成総会に参加した梶田順子さん(64)も、高知市の福井町で地域「九条の会」結成を目指し、こつこつとネットワークづくりの活動を続けています。市民病院で薬剤師を三十八年間務めてきました。 「戦争に反対し投獄された高知の反戦詩人槙村浩や、日露戦争に反対した幸徳秋水に学んできました。しかし、いま改憲の流れを許していては、言いたいことも言えず、考えることも許されない時代がまたやってくる。そうならないように、いま急いでやらねばならないことがある」と梶原さん。 「単に九条を守るということだけではなく、九条によって日本の進路を積極的に選択する、そういう機会にしなければならないと思っています」。静かな語り口の中から強い思いが伝わってきました。 ♪ ♪ 「こうち九条の会」結成総会では、元日弁連副会長の土田嘉平さんが閉会あいさつで、「この重要な時期に憲法を読んで学んで、一人ひとりのものにして、憲法九条改悪を断固として食いとめてみせる――。今日はその出発点にしていただきたい」と気迫を込めました。 元参院議員の西岡瑠璃子さんの短歌も読みあげられました。 「母と子に 戦争の惨再びを 負わせてならじ憲法改悪」 総会で選ばれた代表9氏高知大学教授 青木 宏治氏(57) 高知女子大学名誉教授 池川 順子氏(75) 元須崎市長・元自民党県連総務会長 梅原 一氏(75) 高知短大名誉教授 仮谷 仁氏(68) 元社会党高知県本部委員長・全国革新懇代表世話人 栗原 透氏(76) 弁護士・元日弁連副会長 土田 嘉平氏(73) 元社会党参議院議員 西岡瑠璃子氏(70) 元高知県議会議長・元自民党高知県連幹事長 平山 公敬氏(81) 元高知市文化振興事業団専務理事 渡辺 進氏(78) |