2005年2月17日(木)「しんぶん赤旗」 「羽衣の松」流失のピンチ脱したが…460億円つぎこむ天女が水浴び中に羽衣をとられたという伝説の「羽衣の松」(静岡県静岡市・清水)が砂浜の浸食で流失すると心配されていましたが、砂浜の保全にかろうじて見通しのついたことがわかりました。砂浜浸食の原因は安倍川の砂利の大量採取と砂防ダムによるものです。これまで四百六十億円の対策費をつぎ込み、原状を回復するには、なお二十年が必要です。川と海の関係を無視した砂利採取のツケがいかに大きいかを示して教訓的です。 松橋隆司記者
安倍川は、傾斜の強い川で、大量の土砂を海へ供給してきました。この結果、安倍川から清水側へ幅百メートルを超える砂浜がつづき、清水港を囲む三保の半島がつくられました。半島にできた三保の松原は「日本の白砂青松百選」の一つ。富士山を背景にした景観が見事です。 離岸堤を設置安倍川で大量の砂利を採取するようになったのは一九六〇年代初頭。早くも六五年ころには海岸浸食が深刻な問題になりました。安倍川河口部に隣接する静岡側の海岸沿いに砂浜が年二百五十メートルの速さで消失しました。砂浜を失った海岸は波をもろに受け、国道(150号)の損壊が毎年のように発生するようになりました。 このため海岸から百メートルほどの地点に消波ブロックを投入して離岸堤を建設。長さ約百メートルの離岸堤が海岸に並行してつぎつぎ設置されました。 しかし、一九八〇年代には清水側の砂浜が浸食されはじめ、「羽衣の松」の流失を心配する声が高まりました。
静岡県議会でも議論になりました。日本共産党の花井征二県議が八三年六月議会で清水側の抜本対策を先行的に実施するよう求めたからです。 県は学者、住民、行政の関係者からなる「白砂青松検討委員会」を設置。砂浜保全の新工法を検討し、一九八八年から対策事業に着手しました。 この結果、年十三万立方メートルの砂浜の浸食量は五万立方メートルまで少なくすることに成功しました。しかし五万立方メートルの砂を投入しなければ、砂浜の減少を抑えられないため、毎年その分の砂の投入が必要です。 毎年砂5万トン安倍川下流域での砂利採取量は、静岡河川事務所の調べによると一九五五年から二〇〇一年までに約千三百七十万立方メートル。東京ドーム十一個分にもなります。砂利採取は一九六五年以降抑制し、一九九三年からはほとんど採取をやめていたものの二〇〇一年から砂浜に投入する砂利の採取を始めています。 ともあれ砂利採取の抑制と離岸堤の設置で砂がつきはじめ、静岡海岸では幅百メートル近くまで砂浜が復活してきました。 静岡県土木部河川海岸整備室の長島郁夫室長は「現在、静岡側から年二百五十メートルの速さで砂がつき始めています。これが『羽衣の松』に到達するまでの二十年間、毎年五万トンの砂を入れて砂浜を維持する必要があります」と説明しています。 県土木部の調べによると、海岸浸食の対策費は一九六〇年度から昨年度(見込み額)までで四百六十億九千三百万円にのぼります。 「川と海は一体のもの」旧清水市(現静岡市)在住で海洋災害に詳しい海洋物理学者・宇野木早苗さん(元東海大学教授)の話ひとたび人間のおろかなともいえる行為で自然のバランスを壊すと、それをもとに戻すのは容易でありません。長い期間にわたる努力とばく大な経費がかかります。三保の海岸の浸食問題は、その点で教訓的です。 河川につくられたダムや砂利の大量採取で、砂浜や干潟が消失し、漁業被害や災害が起きています。河川事業者は、川と海を一体のものとして考えていないから被害がでるのです。その対策にまたばく大な税金を使わざるを得ない、といったおろかなことを許してはならないと思います。 |