2005年3月7日(月)「しんぶん赤旗」
高知 広がる九条の会
一気に県内35へ
元自民県連幹事長、村議半分参加も
|
高知県に自民党県連幹事長や総務会長を務めた人たちも参加した「こうち九条の会」が誕生したのは昨年十二月。それに前後して市町村単位の地域の会は六つ、高知市内には三つできました。結成準備中のものが二十五あり、短期間に一気につくられつつあります。
背景には、大江健三郎氏らが呼びかけ人で党派を超えた「九条の会」ができたこと、「それに応えなくてはならない」(詩人の猪野睦さん・土佐山田町会代表あいさつ)という思いがあちこちで会結成の力になっています。
そのなかに村長、教育長、JA支所長、青年団長、連合婦人会会長、老人クラブ会長など、村の“顔役さん”が勢ぞろいした十和(とおわ)村があります。十四人の村議の半数の七人も加わりました。人口三千六百人の四万十川中流域の小さな村での結成は、冷え込み厳しい雨の夜おこなわれました。七十七人が参加しました。
参加者にも感銘
伊藤静男氏(元議長。公明党あるいは無所属の村議を五期)は「私の祖父は日露戦争の二〇三高地で二十六歳の若さで戦死。二度と戦争しないため平和憲法を守ろう」と訴えました。
酒井節夫村長は憲法前文を読みあげて「前後の流れを読めば、交戦権のないことは疑問の余地がないこと」と話し、参加者に感銘を与えました。教育長も議会で「憲法と教育基本法は一体のもの」と答弁しています。
九条の会結成に最初に動いたのは伊藤氏。過日、「こうち九条の会」結成を新聞報道で知り、同会筆頭代表の栗原透さんに資料を送ってほしいと連絡。これがきっかけで、伊藤氏と日本共産党の山本桓村議、無党派の橋本保議員、元郵便局勤務の森野幸世さんが集まって相談。「よし。思想・信条は違っても平和だけはみんなで守ろう」と意見が一致。「どうせやるなら、すべての団体によびかけよう」となり、その結果、村ぐるみの会になりました。
日本共産党の山本村議はいいます。
「私はあらゆる活動の中で、憲法を語ってきた。なにもしなければその責任が問われる。憲法は、いろいろある課題の一つではない。垣根もなくなった。今後、地道な運動が続けられるかどうかだ」
|
地道に署名推進
高知市の小高坂地域(人口約一万人、四十七町内会)は十月二日に結成しましたが、結成にあたって四十七すべての町内会への働きかけを重視しました。
元自民支持者で戦争体験を持つある町内会長は「九条のことやったら、なんでもやる」と町内での案内ビラ配布を引き受けました。別の町内会長は「回覧板で団地内を回しましょうか」と協力を申し出ました。
総会後は、改悪反対署名で対話訪問にとりくみました。百軒訪問して断られたのは二軒だけ。“これは続けなければ”の声も出ました。しかし、署名を持っての訪問活動を続けることはなかなかできませんでした。役員会では、全戸に働きかけることの大切さを改めて論議し、活動を継続するために世話人を増やし、事務局に若い人を配置することを決めました。
全市民を対象に
土佐市では、党後援会が中心になって、すべての市議、部落長ら地域の代表者二百数十人に「いっしょにやりませんか」と呼びかけ文を送付し、準備会を重ねて結成総会(十一月八日)を開催しました。新社会系市議も参加するなど、幅広い顔ぶれとなりました。
年明けには、結成記念の講演会を大きな規模で成功させるため、全国九条の会のカラーリーフレット一万部を買い取り、案内ビラとあわせて全戸配布。これには、橋本大二郎知事を支持する無党派の人の協力も得て、配りきることができました。講演会は百五十人が参加しています。
|
呼びかけ人七十人の一人、中内光昭高知大学元学長は「改憲は反対です。私は戦争で親父、おふくろが戦死、家も焼かれているのです。できる範囲で協力をしたい」と話しています。
全会一致で可決
野市町では、党町議が提案した「憲法九条を守り、世界平和に寄与する事を求める」意見書を全会一致で可決しました。
意見書は「『不戦の決意』は今日の日本の原点であり、ますます重要さを増しています」と指摘。この提案には、公明党議員が提出賛同者になりました。同町のある保守系町議は「憲法の九条はなんとしても守らないかん。(自民党)本部はやってもわれわれは反対だ」と話しているといいます。(高知県・林数男)