2005年4月29日(金)「しんぶん赤旗」
主張
「昭和の日」法案
侵略美化教科書と似た者同士
自民党と公明党の議員が提案し、民主党も賛成した「昭和の日」法案が、衆議院を通過し、参議院に回っています。主な中身は以下の三点です。(1)昭和天皇誕生日だった四月二十九日を「昭和の日(激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす)」として「国民の祝日」にする(2)現在の「みどりの日」は五月四日に移す(3)施行は二〇〇七年から。
日本共産党は、反対しています。侵略戦争の最高責任者である昭和天皇の誕生日を「昭和の日」にするのは、侵略戦争と暗黒政治の反省にたって制定された憲法の原則と祝日法の理念に反しているからです。
天皇中心の時代認識
「昭和の日」法案について、公明党の冬柴鉄三衆院議員は、法案提出者として次のように述べています。
「昭和」は「二千年を超える我が国の悠久の歴史から顧みても、大激動の時代であった」。「昭和を顧みて…将来の指針にしていこうという趣旨」であり「昭和天皇をしのぶとかそういう趣旨じゃない」。しかし、「昭和を一番象徴するのは、六十三年それに在位された昭和天皇」である(衆院内閣委員会、一日)。
「昭和の日」法案とそれを推進する議論で特徴的なのは、時代認識が、国民中心ではなく、天皇中心だということです。二千年前は弥生時代なのに、「二千年を超える我が国の悠久の歴史」というのは、紀元前六六〇年に神武天皇が即位したとする皇国史観を引き継いだ見方です。
戦前も戦後も区別せずに「大激動の時代」と一面化し、昭和天皇に時代を「象徴」させるのも、「在位」の継続だけを見るからです。
しかし、国民の立場から見れば、日本国憲法の制定によって新しい時代が切り開かれたことこそ、注目に値するものです。明治憲法では「日本臣民」でしたが、日本国憲法によって、主権をもつ「日本国民」となりました。昭和天皇は「臣民」に戦争遂行を命令しましたが、日本国憲法で、侵略戦争への反省を明確にし、「日本国民」は、戦争を放棄し、戦力を保持せず、国の交戦権を認めない、と決めました。
この違いを無視するのは、侵略戦争と暗黒政治の歴史を隠す結果になります。日本共産党の吉井英勝衆院議員が、侵略戦争と植民地支配、民主主義抑圧の歴史を認識しているのかと質問したのにたいし、提案者は「時代をそういうふうに認定するとかしないとかを提案しているわけではない」「事実としていろいろあった」と答えています(自民党・長勢甚遠議員)。侵略戦争の歴史は「いろいろあった」で済まされる問題ではありません。
戦争を「時代」のせいに
侵略戦争美化の『新しい歴史教科書』(扶桑社)は、歴史を天皇中心に描くという特徴もあります。「昭和の日」法案や、その提案者たちの議論とよく似ています。
たとえば、この教科書の本文の最後に「人物コラム 昭和天皇」があり、次のように書いています。――昭和天皇は即位したときから「各国との友好と親善を心から願っていた」が「時代はそれとは異なる方向」へ進んだ。しかし、天皇の決断で終戦になり、敗戦後、復興をはげますなど「激動する昭和という時代を、一貫して国民とともに歩まれた」。
戦争を「時代」のせいにして、その最高責任者を美化しています。
「つくる会」教科書と似た者同士の「昭和の日」法案を、三度目の廃案に追いこみましょう。