2005年6月4日(土)「しんぶん赤旗」
「戦場にかける橋」 実際の犠牲者は?
〈問い〉 かつて、映画「戦場にかける橋」で、連合軍捕虜を虐待した鉄道建設が描かれていた記憶があります。実際はどんなことだったのですか?(神奈川・一読者)
〈答え〉 東南アジアで日本が犯した戦争犯罪で忘れていけない一つが、映画「戦場にかける橋」(主題音楽「クワイ河マーチ」)に描かれた「泰緬(たいめん)鉄道」建設です。モデルの鉄橋は、ビルマ(ミャンマー)との国境に近いタイ・カーンチャナブリー市街を流れるクウェー川(クワイ河)にかかっています。同地は、第2次世界大戦末の1942年、日本軍がタイ―ビルマ間につくった泰緬鉄道の建設基地でした。
この工事には、東南アジア一帯から連合軍捕虜約6万5千人、各地から狩り集めた「ロームシャ(労務者)」20〜30万人以上が動員されました。
処刑、虐待、過労、食糧不足、病気での犠牲者は、遺骨収集され共同墓地に埋葬された連合軍捕虜だけで1万2487人。「ロームシャ」は半数が命を奪われたといわれます(英国調査で7万4025人、日本側主張4万2214人)。マラリア、チフスなど手当てがあれば助かる疾患も放置され、「枕木一本、人一人」の「死の鉄路」と表現されました。
ミッドウェー海戦に敗北し、ビルマへの海上補給が困難になった日本軍がビルマ経由の中国・重慶の蒋介石国民党政権への補給ルート切断と、インドへの侵攻の橋頭堡(ほ)づくりをねらった、インパール(インド国境近くのビルマの都市名)作戦への戦略的補給路が「使命」でした。
しかし、インパール作戦の敗北で所期の目的は果たせず皮肉にも、日本軍がビルマから敗走する経路になりました。手当ても受けず半死半生のまま貨車で運ばれてくる日本兵の姿に工事を生きのびた捕虜すら、哀れみ、食糧を与えたと、現地では語られています。
カーンチャナブリーには77年に建設された「JEATH戦争博物館」〈日本(J)、タイ(T)と連合軍捕虜の出身国=イギリス(E)、オーストラリア(A)とアメリカ(A)、オランダ(H)の頭文字を並べ、JをDに変えると「DEATH(死)」を連想できるように命名〉があり、日本軍の戦争犯罪の跡を伝えています。(高)
〔2005・6・4(土)〕