2005年6月15日(水)「しんぶん赤旗」
戦犯釈放・赦免の国会決議って?
〈問い〉 先日のラジオで自民党長老の松野頼三氏が「A級戦犯の名誉回復を国会で全会一致でやった」と、あたかも日本共産党が賛成したかのような発言をしていました。実際はどうだったのですか?(横浜・一読者)
〈答え〉 A級戦犯の復権を容認する論者によくみられる主張ですが、日本共産党は決議に賛成していません。
サンフランシスコ平和条約発効(1952月4月)後、国会では戦争犯罪問題の論戦がさかんにおこなわれました。その特徴は、侵略戦争への反省ではなく、逆に戦争犯罪人は「国の犠牲者」「愛国者」であるといった戦争責任の免罪でした。
戦犯釈放・赦免要請決議は参院本会議では52年6月9日、衆院本会議では52年6月12日、52年12月9日、53年8月3日、55年7月19日の計5回ありました。これらの決議は、日本共産党と労農党を除いた、自由党、改進党、右派・左派両社会党などの共同提案によるものです。
日本共産党は、戦後すぐから戦争犯罪人の責任をきびしく追及しており、当然これら決議にも反対の態度をとりました。議席が一定数以上あり国会の会派として認められた時期には、反対討論もおこなっています。「戦犯在所者の釈放等に関する決議案」(52年6月9日参院本会議)には岩間正男議員が、「戦争犯罪者の釈放等に関する決議案」(52年6月12日、衆院本会議)には高田富之議員が立っています。52年12月9日の衆院本会議の決議当時には議席がありませんでした。このときは労農党が反対討論をしています。53年決議当時は議員が1人(川上貫一議員)、55年決議当時は2人(川上貫一、志賀義雄議員)のために、国会会派として認められず「小会派クラブ」に属していました。53年、55年決議の会議録には、議長が決議採決時に「御異議なしと認めます」と発言しています。この議長発言を「全会一致」の論拠にしている場合が多々あります。しかし、この中に会派としての日本共産党がふくまれていないことは当然です。さらに「小会派クラブ」に属していた日本共産党の個々の議員の賛否については、55年決議がおこなわれた翌7月20日付「アカハタ」一面の「戦犯問題の正しい解決のために 衆院の釈放決議に反対して、党議員団が声明」という記事が「採決にさいして労農党と共産党が反対した」と報道しています(労農党は当時「小会派クラブ」に4名所属)。
このことは議長の「御異議なしと認めます」発言が全議員の賛成をさすものではないことを示しています。(稲)
〔2005・6・15(水)〕