2005年6月18日(土)「しんぶん赤旗」

中国侵略 反戦運動はあったの?


 〈問い〉 日本が中国侵略を開始した当時、反戦運動はあったのですか?(岡山・一読者)

 〈答え〉 1931年9月18日夜、日本軍は中国東北部、柳条湖の線路を爆破し、侵略戦争を開始しました(政府は侵略の意図をごまかすため「満州事変」と称した)。45年8月までの15年戦争の始まりでした。

 日本商工会議所、日本工業倶楽部、日本経済連盟など財界はあげて、これを支持、新聞、ラジオは軍の宣伝機関となり、連日、「我軍大活躍の奉天戦線」(「朝日」)などと戦争をあおり、国民に真実を伝えず、ウソの情報を信じさせました。

 こうしたなかで、正面から戦争反対をとなえたのは非合法下にあった日本共産党と、日本労働組合全国協議会(全協)、反帝同盟、無産政党の全国労農大衆党、少数の知識人やクリスチャンでした。社会民衆党や右派労組の総同盟は最初から戦争を支持し、全国労農大衆党も間もなく分裂して32年には社会民衆党と合同、社会大衆党となり、戦争協力に変わりました。

 日本共産党は事件の数カ月前から、戦争計画を暴露し、31年8月1日の反戦デーには「日本軍隊の満州、朝鮮および台湾からの即時召還」を掲げ、各地で集会やデモを組織。侵略開始の翌19日には「帝国主義戦争反対、中国から手を引け」の檄(げき)を発表しました。呼びかけが載った「赤旗」やビラは取り締まりの目をかすめ、手から手へと渡されました。たたかいの中で「赤旗」は32年4月、活版刷りに。発行部数も7000部に広がりました。

 「大学や高等専門学校の学内では、図書館の屋上や教室の窓から、反戦ビラが花吹雪のように散った。数メートルの垂れ幕を下げたところもあった。学内にも特高刑事が入りこんでいたが、学生たちは、当局の目をかすめては、集会やデモをおこなった」(塩田庄兵衛・橋本進編『反戦平和に生きた人びと』)など、勇敢なたたかいが展開されました。憲兵司令部の記録では、28年まで年間400件ほどだった反戦活動は、29年1055件、30年1398件、31年1905件、32年2437件、33年1694件、軍隊内における反戦活動も29年=69、30年=158、31年=126、32年=204の件数に急増しています。(同前)(喜)

 〔2005・6・18(土)〕


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