2005年10月10日(月)「しんぶん赤旗」

ゆうPress

憲法9条私の表現

「9」の文字を身につけて

人とつながるラブソング


■兵庫の青年9条の会

 戦争放棄をうたう憲法第9条を知らせよう―。兵庫県の「Project Article9〜9条の会青年兵庫〜」が元気です。青年たちは、ライブやファッションショーを企画して9条の大切さを発信しています。(中村美弥子)


 Project Article9代表 井澤美穂さん(29)=加古川市在住、エスティシャン=

 帽子、イヤリング、ネックレス、Tシャツ、リュック。すべてに「9」の数字が…。「友達から『美穂ちゃん、何でそんなに九が好きなん?』て聞かれます。そうすると嫌でも憲法九条の話をすることになりますよね」。九条のことを話すと「変えてもいいという人は一人もいません」と手応えを感じています。

 Project Article9を立ち上げ、イベントを企画してきたのは、若い人に九条を知ってもらい、考え、行動するきっかけを提供したいと思ったからです。

 会の財政を支えるTシャツのデザインは友人のデザイナーに頼みました。「9」の数字をあしらったイヤリングは、フリーマーケットで出会った女性につくってもらいました。お願いするときは、どんな趣旨でデザインしてほしいのか説明します。「デザイナーの友人は一週間かけて憲法や平和について勉強してデザインを考えてくれました」とうれしそうに語ります。

 井澤さんが平和の問題に関心をもつようになったのは、イラク戦争開戦のとき。昨年八月に原水爆禁止世界大会に参加するまで、憲法について考えたことはほとんどありませんでした。世界大会で、フランスの青年の「フランスにも憲法九条をつくりたい。世界中に憲法九条ができたら核兵器も戦争もなくなるはずだ」という発言を聞き、九条は“世界の宝”なんだと実感しました。

 「日本人だけでなく世界中の命がかかっている憲法九条を何が何でも守らないといけないと思ったんです」

 それから生活が一変しました。お金がほしい、仕事や外見で認められたいと、がむしゃらに仕事に打ち込んでいたエネルギーを平和活動に注ぐようになりました。自分のスタイルでファッションを楽しむようにもなりました。

 井澤さんは「日々の生活のなかに憲法九条を取り入れないと」と考え工夫しています。「家にあったボタンを使ってリュックに『9』と縫いつけたのは、九条に込められた気持ちを毎日背負って歩こうと決めたからです」

 Project Article9代表 井村真琴さん(29)=神戸市在住、ミュージシャン=

 「これまでバラバラだった若い人を一つのテーマで結びつけることができるとわかり、音楽の可能性を感じました」

 バンド「jamzIp」でボーカルとギターを担当する井村さんは、自作の歌「article9(アーティクルナイン=第九条)」が放つ影響力に確信をもちます。各地で出張ライブをするなか、歌が憲法第九条を宣伝する材料として広がっているからです。

 「article9」は、今年三月二十日に神戸市で開かれた「Peace Festa」の実行委員会から、憲法第九条の大切さについて歌を作ってほしいと依頼されて作りました。

 「九条って本当はすごく身近なことなのに、遠い存在になっている現状を何とかしたいと思っていました。九条を自分の問題としてとらえてもらうために、自分たちの解釈、言葉で歌にしました」

 歌詞の後半を作るのに苦労しました。メンバー三人で「九条がいってる戦争放棄を何で守らなきゃいけないのか」と問答しながら練っていきました。

 メンバーの一人が「まず手を握り合えば、その手は銃を握れないじゃないか、引き金を引けなくなるよね。そういうこととちゃう?」といいました。「憲法九条は武器による安全保障よりも百万倍力がある、だから世界を守れるんやと納得しました。僕自身、九条についての理解がとても深まる作業でした」

 この歌を歌うのは平和のためのイベントだけではありません。大阪や京都での音楽イベントでも歌ってきました。「最初はどういう空気になるんやろ、とけっこう勇気がいりました」。でも心配は無用でした。歌を聴いた普通のお客さんが、「印象に残った」「考えさせられた」と感想をいってくれました。

 「これまで人とつながって生きることの素晴らしさ、愛について歌ってきました。それを奪うものがあれば告発するのは当たり前です。これはラブソングなんです」。井村さんはさらりといいました。

 「article9」はjamzIpのウェブサイト、www.jamzip.comで聴くことができます。


■お悩みHunter

■離れることで良い関係にも

■母親との二人暮らし続く依存関係が嫌に

Q 私は母と二人で暮らしてきたせいか、依存関係にあり、自立できず自分に自信が持てません。高校や大学進学も母の意向に沿った結論をだしました。いつも母の目を感じ、母の大きさを感じてきました。母をさびしがらせ、悲しませることになると思うと、家を出られません。依存関係を続ける自分がいやになります。(大学四年生、女性。埼玉県)

A いつも、お母さんの喜びや悲しみを背中にみて、大きくなったんでしょうね。あなたが、こんなふうに悩んでいることは、健康な証拠です。文書にできることも、すでにお母さんと別な人生を歩みはじめている、ともいえるのではないでしょうか。

 お互いの境界線をどうひくのか、ですね。「やさしさ」は、あなたにとってもお母さんにとっても、必ずしも良いわけではないと思います。あなたが自立することで、お母さんが感じる「寂しさ」は、お母さんの新たな人生を生み出すきっかけになる、と考えてはどうでしょう。あなたが一緒にいることで、かえってお母さんの世界を狭くしているかもしれません。どこかで境界線をもたなければならない、そういうお母さんとあなたとの関係を通じて、将来のパートナーや人間関係があるのだと思います。離れることで、一時的に感じる「寂しさ」は、誰もが感じるものです。

 自分に自信が持てないのは、年齢から仕方がないことです。これからのことについて、自分で決めるようにしてみてください。お母さんとけんかしたり、いやな思いをするでしょうが、一時的な分裂状態を経て、きっと良い関係になっていくと思います。

 就職するときに家をでるのも一つの方法です。物理的に離れたら、違ったお母さんをみることができるかもしれません。


■精神科医 上村 順子さん

 山口大学医学部卒。代々木病院、松沢病院などで勤務。99年からめだかメンタルクリニック院長。


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