2005年10月18日(火)「しんぶん赤旗」

小泉流“めくらまし”で「参拝」の本質は隠せない


 「今までと同様、総理大臣小泉純一郎としてではなく、一人の国民として参拝した」

 小泉首相は十七日、そう語りました。事実はまったく逆です。二〇〇一年八月十三日の第一回参拝後、首相は「総理大臣である小泉純一郎が心をこめて参拝した」と明言しています。

 事実や議論の内容をすり替え、姑息(こそく)な論法でその場をしのぐのが、一貫した小泉流政治手法。第一回参拝時の首相談話もそうでした。「内外の人々がわだかまりなく追悼」できる方法の議論を提唱、新国立追悼施設構想を打ち出しました。

 ところが、官房長官の諮問による懇談会で具体的に議論されだすと、「(靖国は)追悼の中心施設」(〇二年四月)と発言し、「靖国は靖国だから」(同十一月)と、新施設ができても靖国参拝は続ける意思を表明。“靖国にかわる新施設”は、その場しのぎのめくらまし談話にすぎなかったことを露呈しました。

 もともと、靖国参拝は自民党総裁選挙での小泉氏の公約です。それは中曽根内閣以降、司法や国内外の批判で中断していた「首相の参拝」復活にこそ本質がありました。

 以後、「公私にこだわらない」(第一回参拝後の会見)という論法で、実態としての公式参拝を強行してきました。

 首相側が「私的参拝」と言い出したのは、一連の靖国参拝違憲訴訟が高裁段階に入ってから。明らかに裁判対策上の姑息な戦術でした。

 首相が、参拝を違憲とした大阪高裁判決(九月三十日)を真摯(しんし)に受け止めるなら、従来の発言を撤回し、参拝を中止すべきです。

 今回、首相は参拝の外形を変えましたが、岩手靖国訴訟の仙台高裁判決(一九九一年一月)は、「(略式参拝でも)祭神に対する拝礼という行為を参拝と観念する以上、参拝の実質が変わるものではない」と述べ、この判決は確定しています。

 “めくらまし”の手法で本質を隠し通せない、というべきでしょう。(柿田睦夫)


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