2005年10月19日(水)「しんぶん赤旗」
憲法九条改定論の三つの盲点
日本記者クラブでの 不破議長の講演
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日本共産党の不破哲三議長が十月十七日、「憲法」をテーマにした日本記者クラブ主催の研究会でおこなった「憲法九条改定の三つの盲点」と題する問題提起の詳報は次のとおりです。
不破議長は「いま加速している憲法改定論議には、重要な問題を議論の外に置いたり、議論の角度に現実離れしているところがある」として、「三つの盲点」を提起しました。
■第一の盲点 九条改定は現実政治でいかなる意味をもつか?
■「自衛」論のカゲに本音が隠される
不破氏が指摘する第一の盲点は、憲法改定が、現実のねらいとは離れて、もっぱら「自衛」の問題として議論されていることです。
実際、九条改定論者の多くは、表向きは、日本の憲法に自衛の問題をどういう形、内容、条項で織り込むかを主眼にして議論をしています。しかし、現実の日本の政治では、憲法改定論は日本の自衛の必要から起こった問題ではありません。なによりも日本の再軍備、海外での戦争に日本が参加できるようにする、この問題を解決するために憲法改定が必要になってきた、これが真相です。
■一九四九年にアメリカが決定した憲法改定の方針書
「そのことは憲法改定の動きを歴史的に振り返ってみると非常によくわかる」とのべた不破氏はまず、日本の憲法改定論の出発点が一九四九年のアメリカの方針転換にあると指摘しました。憲法制定の翌四八年に、アメリカのフォレスタル国防長官が、ロイヤル陸軍長官に日本再軍備の方針の研究を求めました。その研究結果をうけて、翌四九年二月、アメリカの統合参謀本部が決定したのが「日本の限定的再軍備」という方針書でした。
当時、“米ソ対決”が前面に押しだされて、日本占領の初期の構想とは違った状況が出てくるなかで、アメリカ政府は、四七年に憲法をつくらせたことを後悔するのです。そのことが、この方針書には強く現れていました。“日本の再軍備が必要だ。しかし、本格的に軍隊をつくるには日本の憲法を改定しなければならないし、アメリカもポツダム宣言から離脱する必要がある。これはとてもできない”ということで、迂回(うかい)作戦をとる方針が示されています。
憲法にはすぐは手をつけず、文民警察の増強からはじめ、アメリカの監督下に事実上の軍隊をつくる、その間に、憲法の改定と本格的再軍備の準備をするという作戦です。不破氏は、「この方針書は、今日に至るまで、アメリカとの関係で憲法問題が扱われる事実上のロードマップ(道程図)となってきた」と指摘しました。
■「解釈改憲」で海外派兵まで進んできたが…
この方針書の最初の部分は、いまの憲法のままで事実上の軍隊をつくるというもので、いわば「解釈改憲」です。その最初の実行措置が一九五〇年の「警察予備隊」の創設でした。これが五四年に「自衛隊」に再編強化され、六〇年の日米安保条約の改定では、それまでなかった日米共同作戦条項が入りました。このときから、安保条約をテコに日本の自衛隊を海外での戦争に動員する計画の具体化が始まったのです。
「『解釈改憲』の作戦では、おそらくアメリカが当初予想したよりも、大きなことができた」と不破氏は言います。イラク派兵さえ、「解釈改憲」の線上でやってのけたのですから。
この過程で、世界情勢には大変動がおきました。一九九一年のソ連崩壊です。それまでの憲法改定をめざす軍備の増強論、海外派兵論は、すべて“米ソ戦争”を前提にして、この戦争の日本への波及に備えるという建前でのシナリオでした。そのソ連が崩壊し、“米ソ対決”の危険がなくなったわけですから、本来なら、“米ソ戦”を前提にした憲法改定や海外派兵、日米共同作戦の計画は、きっぱり放棄するのが当然の筋道でした。しかし、アメリカも、日本の自民党政府もそういう道は選びませんでした。
アメリカはあくまでその戦争体制を別の名目で続けようとして、「ならずもの国家」への先制攻撃という新戦略に転換しました。自民党政府はこれに連動して、アメリカの新戦略に対応する日米共同作戦という方向に、その海外派兵論を急転換させたのです。
日本では、九〇年代末から二十一世紀の初頭にかけて、三つの海外派兵立法が次々とつくられました。九九年のガイドライン法(周辺事態法)、〇一年のテロ対策特別措置法、〇三年のイラク対策特別措置法です。
■九条改定のねらい――自衛隊を「海外で戦争のできる軍隊」に
「この三つの法律を改めてならべてみると、なるほどと思ったことがある」として不破氏は、二つの重要な問題を指摘します。
第一は、三つの海外派兵立法のなかで、安保条約を根拠にしているのはガイドライン法だけだということです。
日本政府の海外派兵構想は、安保条約を根拠にして日本の周辺が危険になったら、「自衛」のために出て行く必要がある、この角度から海外派兵を考えるというのが、もともとの、筋書きでした。ところが、三つの立法をみると、安保条約にかかわる条項があるのは九九年のガイドライン法だけで、あとの二法は安保条約にまったく触れていません。つまり、海外派兵を安保条約にも根拠のないところに位置づけているのです。
不破氏は「この段階から、“米ソ対決”のなかで『自衛』の看板をかかげての海外派兵ではなく、アメリカの先制攻撃戦略に連動する海外派兵へと性質が変わった。先制攻撃戦略に協力する立場で、海外に自衛隊を出すことは国策の大転換なのに、小泉内閣は『同盟国の義務』というワン・フレーズだけで、議論らしい議論を示すことなくこの転換をやってのけた」と批判しました。
第二の問題は、三つの海外派兵法に共通の条項があることです。それは、「基本原則」(第二条)の第二項で、「対応措置の実施は、武力による威嚇又は武力の行使に当たるものであってはならない」という共通の制約が明記されています。いろいろな名目で海外派兵をおこなっても、海外での「武力の威嚇と武力の行使」はできない。ここに、いくら「解釈改憲」を拡大しても乗り越えることのできない、憲法の制約があるのです。
「アメリカにしても日本の政権当事者にしても、憲法のこの制約がいかに自分たちに不都合であるかを、インド洋やイラクで絵にかいたような形で経験したと思う」と指摘する不破氏。「その制約を早急に取り除きたいというのが、日本のタカ派とアメリカ側の共通の切望になった。これが九条改定論が加速してきた一番の背景にある。自衛隊を『海外で戦争をやれる軍隊』に変え、日本を海外で『戦争をやれる国』に変える。それが憲法九条改定の生々しい狙いだということを、このいきさつははっきり示している」と強調。
改憲論者はこの点を正直に国民に示して、九条改憲の是非を問うのが当然の筋道なのに、それを避けて「自衛」論一般でごまかしていると指摘しました。
■第二の盲点 軍事優先の安全保障論が今日の世界で有効か?
■平和の外交戦略の不足こそ決定的な問題
第二の盲点は、九条改定を推進するタカ派が軍事偏重の安全保障論に立っていることです。
■軍事優先の「安全保障」論は日本の安全にとって有害
不破氏は、「こういう安全保障論がいまの世界で有効かどうか吟味する必要がある」とし、まず、陸上自衛隊の「防衛警備計画」に関する「朝日」九月二十六日付のスクープを紹介しました。
「朝日」によると、防衛警備計画は陸上幕僚監部が作成したもので、北朝鮮、中国、ロシアを日本の「脅威対象国」として認定。〇四年度から〇八年度の五年間に、これらの国が日本を攻撃する可能性について、北朝鮮は「ある」、中国は「小さい」、ロシアは「極めて小さい」としています。そして、近隣諸国との紛争が戦争に連動するという想定で、それぞれについて、作戦計画を立てているのです。
不破氏は「日本の安全保障を担うという自衛隊が、こういう計画を立てて日常の仕事をしているということに、ひじょうな脅威を感じた」とのべます。
続いて不破氏は、「現代の世界では、安全保障論の主役は外交だ」として、その内容を次のように解説しました。
「以前の時期には、紛争といえば、戦争に発展する可能性をもつものと受け取り、軍事的備えをするのが安全保障論の第一の柱だったかもしれない。しかし今日の世界では、紛争をいかに平和的、外交的な手段で解決するかが安全保障の最優先の国策だ。軍事部門が、紛争の相手国を『仮想敵』と見立てて、紛争が戦争に発展するシナリオをいつも描いているとしたら、そういう状態そのものが、日本の安全保障にとってたいへん有害だ」
■平和の国際体制づくりは、アジアでも進みつつある
不破氏は、身近な実例として、東南アジアの状況に話をすすめました。
東南アジアはかつては紛争が多い地域でしたが、いまでは地域的な平和体制づくりが本格的にすすんで、多くの国の指導者が「域内での国家間の武力衝突はもはや考えられなくなった」といっています。
不破氏は、自身の経験として、一九九九年のマレーシア訪問をあげました。このとき、安全保障問題でまず紹介されたのが、戦略国際問題研究所という首相の直轄機関でした。そこで一番力を入れているのが、軍事戦略ではなく平和のための外交戦略の研究です。こうした研究所がどの国にもあって、毎年国際会議が開かれていますが、その活動が、この地域の平和友好関係を支える柱の一つにもなっているのです。
いまアジアでは、こういう地域的な平和関係を東アジア全体に広げようという動きが強まっています。
北東アジアでは、北朝鮮の核問題解決のために、六カ国協議がはじまりました。この協議を、当面の核問題だけにとどめず、ひきつづき北東アジア地域の新しい平和体制づくりの協議にすすむ方向の探求が始まりました。実際、九月十九日の共同声明(第四項)では、六カ国協議を、北東アジア地域の永続的な平和と安定のための努力の舞台に発展させることを確認しました。
「日本の政府がこうした協議や合意にくわわっている時に、日本の軍事部門が北朝鮮、中国、ロシアを仮想敵とした軍事シナリオをつくっていることが報道される。ここに日本外交の弱点が表れている」と不破氏。「近隣諸国との間での安全保障体制づくりでは、とりわけ外交が主役だ。日本は、憲法九条で、そのことを世界に先駆けてみずからに義務づけた国なのに、近隣外交の努力が極めて弱い。日本の安全保障の弱点になっているのは、憲法九条でも軍事力の不足でもない。外交力の弱さにこそ最大の弱点がある。世界中で外交戦略に力を入れている時に、日本に二十一世紀の外交戦略がどこにあるか」と語りました。
■アメリカでさえアジア戦略の再検討が始まっている
イラク戦争で一国行動主義と非難を浴びたアメリカでさえ、あらゆる分野で外交的無策というわけではありません。とくに東アジア戦略では広範な再検討が始まっています。六カ国協議の新たな進展も、アメリカが合意をまとめる方向へ積極的態度に転換したことが、今回の共同声明成立で、一つの重要な役割を果たしたといわれます。また、九月二十一日にゼーリック国務副長官がニューヨークでおこなった演説は、アメリカの対中国戦略をまとまった形で示したもので、日本外交より、三歩も四歩も先に進んでいます。
不破氏は強調します。
「アメリカでさえ対アジア外交の再検討をしているのに、アジアにいて近隣諸国とのつきあいが最優先の課題であるはずの日本が、アジア外交の戦略をまったく持っていない、そういう状態で、『自衛』とか『安全保障』についてのまともな議論ができるのか」
「憲法九条改定論は、そのおおもとの考え方自体が、紛争があればすぐ軍事対応という軍事偏重路線に立っている。『防衛白書』が外交を引きずるというのは日本外交のあしき特質だが、九条改定が実現されたら、この特質がいよいよ強まることは目に見えている。きょう小泉首相が靖国神社を参拝したが、アジア戦略のなさとこの行動を結びつけたときに、日本外交の前途に非常に危なっかしいものを感じる」
■第三の盲点 憲法九条を世界はどう見ているか?
■平和のルールづくりの立場で高い評価が広がる
第三の盲点は、憲法九条を世界はどう見ているかについての思い違いです。
■“平和のために血を流せ”論――「アメリカの窓」から見ての思い違い
湾岸戦争のときに、“日本は多国籍軍を支持するためにあれだけお金を出したのに評価されなかった”“血を流さなければだめだ”という固定観念が、日本の政治のかなりの部分にすり込まれました。そこから、“いざというときに血を流す「普通の国」になろう”という議論も盛んになりました。こうして、憲法九条があって海外で戦争のできないことを、「肩身のせまい」問題として受け取る気持ちが、九〇年代以降、憲法改定論の推進役を果たしてきたのです。
憲法九条をもっているからだめだというのが、日本にたいする国際社会の支配的な見方でしょうか。不破氏は「これは『アメリカの窓』からの見方を、国際社会全体の見方と取り違えたもの。国際社会には、これとはまったく違った見方、流れが大きくある。そこを、いまの世界に生きる私たちとして深く考えてみる必要がある」と強調し、憲法九条にたいするアジアと世界の見方を紹介しました。
たとえば、長くアジア貿易にたずさわってきた関係者の話です。
中国でも東南アジアでも、商売上トラブルが起こると、よく戦争中の問題が持ち出されたといいます。そのとき、一番説得力を発揮したのが「あの戦争が終わって日本は変わった。憲法九条で戦争をしない国になった。だから、軍隊を海外に出さない」という話。たいていの人は「なるほど」とうなずくといいます。
「憲法九条をもって外国に軍隊を出さず、経済発展を遂げた国として日本に信頼と共感をもってきた」。これも、野党外交を通じて広く不破氏に寄せられた声です。
■世界の潮目が変わった――「戦争のルール」を「平和のルール」で置き換えよう
不破氏は「最近の情勢変化のなかで、日本の憲法にたいする世界の見方はさらに発展してきた。一つの潮目の変化を感じる」とのべ、憲法九条が日本にたいする好感の源というだけでなく、国際社会を平和的な方向につくってゆくうえでの重要な指針の一つとして評価する動きがでていることを指摘しました。
その実例として挙げたのが、国連GPPAC(ジーパック=正式名称は「武力紛争予防のためのグローバル・パートナーシップ」)です。
これは、四年前にアナン事務総長が「武力紛争を予防するうえで、市民社会の役割は大きい」として、そのための運動を呼びかけたのに呼応してできたNGOの国際会議です。世界を十五の地域にわけて、地域単位の会議を積み上げ、今年七月に、ニューヨークの国連本部で国際会議を開き、百十八カ国のNGO代表九百人が参加しました。ここで採択された「平和を築く人々 武力紛争予防のための世界行動提言」は、「世界には、規範的・法的誓約が地域の安定を促進し信頼を増進させるための重要な役割を果たしている地域がある」とアジア太平洋地域をあげ、日本の憲法の戦争の放棄と戦力不保持の条項が「アジア太平洋地域全体の集団的安全保障の土台となってきた」と明記しているのです。
アメリカの国内でも、憲法九条の世界的な意義を評価する動きがすすんでいます。アメリカには、「平和のための退役軍人会(ベテラン)」という帰還兵の会があります。ベトナム戦争のときにつくられたものですが、第二次世界大戦の帰還兵からイラク戦争の帰還兵まで含めて四千人が参加している組織です。この退役軍人の会の大会(昨年七月)が、「日本の憲法九条が危機にひんしている」ことを心配して、特別決議を採択しました。この決議には、憲法九条にたいし、これはいまの世界で、「戦争のルール」を「法のルール」におきかえる「地球上での生きた模範」であるとの高い評価が書き込まれています。
■憲法問題を世界的な視野でみることが大切
不破氏は「いまの世界で、日本の憲法九条にこういう注目が寄せられ始めたことには、大きな国際的背景がある」とのべ、アメリカのイラク戦争は、国連憲章にもとづく国際ルールを踏みにじる形でおこなわれ、一時は「国連無力」論が生まれたりしたが、大事なことは、そのアメリカの行為が国連憲章の平和のルールを守ろうという真剣な動きを全世界に呼びおこしたことだ、と指摘しました。
実際、国連の安保理事会でイラク戦争に大義があるかと真剣な議論がおこなわれました。世界の諸国民のあいだでも、戦争が始まる前に空前の反対の運動が発展し、「イラク戦争反対」とともに、「国連ルールを守れ」の声が運動のスローガンにかかげられました。アメリカによるイラク戦争は、国際ルールの侵犯でしたが、そのことが、国際ルールの衰退ではなく、より真剣に国際的ルールを守ろうという世界的運動の発展の転機になったのです。
「『潮目が変わった』と言ったのは、そのことだ」と不破氏。「そのなかで憲法九条を見て、平和のルールの有力な部分としての役割をにない、二十一世紀の世界的な発展の方向性を示すものとして注目の的になっている。『肩身がせまい』ではなく、『誇るべき第九条』ということだ。二十一世紀のこういう潮流の中に日本の憲法改定論議をすえて、世界的な視野でみる必要があるのではないか」と締めくくりました。