2005年12月5日(月)「しんぶん赤旗」
主張
首相らの靖国発言
外交感覚と道義性が疑われる
「首相である小泉純一郎が一国民として(靖国神社に)参拝している。なぜ日本国民から批判されるのか。ましてや中国や韓国など外国から批判されるのかはわからない」(小泉首相、十一月三十日)。「首相の靖国参拝を問題にする国は中国と韓国だけ」「気にしなくてよい」(麻生外相、同二十六日)。
首相と外相が、靖国神社参拝を当然視する発言をくりかえし、国内外で高まる批判に聞く耳を持たない態度をとっていることは、憲法の精神と世界政治の常識に反し、国民の利益に背くものです。
■開き直って対決姿勢
靖国神社は、国民を侵略戦争に駆り出す役割を果たしたことを反省せず、「自存自衛の戦争」「アジア解放の戦争」だったと正当化する戦争観を宣伝しています。
アジアで二千万以上の人々の命を奪った侵略戦争を“正しかった”というのは、日本国憲法の基礎になっている侵略戦争への反省をなげすてる議論です。同時に、侵略戦争否定の上に成立している世界政治の枠組みの否定を意味します。
だからこそ、日本共産党が、靖国神社と靖国史観の実態を明らかにして追及したのにたいし、小泉首相も、「靖国神社の考えと、政府の考えは違う」と答弁せざるを得ません。
五年連続の靖国神社参拝で、靖国史観にお墨付きを与えるようなことは、国会での答弁とも根本的に矛盾しており、道理がたちません。これでは、いくら「植民地支配と侵略によって…アジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与え」たことに「痛切なる反省と心からのお詫びの気持ちを常に心に刻」むと言っても(アジア・アフリカ首脳会議での小泉首相演説、四月二十二日)、行動は逆だということになります。
「多大の損害と苦痛」を強いられたアジア諸国の人々は、再び、傷つけられた気持ちになり、批判の声を上げています。それが「わからない」で、アジアの人々と付き合っていけるでしょうか。日本とアジアとの交流は、経済や文化、スポーツ、学術など多方面で深まっています。小泉首相の言動は、それの阻害要因です。
「気にしなくていい」とうそぶいて開き直る麻生外相の対決姿勢には、中国や韓国を見下す気分があらわれています。外交感覚以前に、人間としての道義性が疑われます。
事実の問題として、靖国問題での批判は、中国や韓国だけでなく、世界的に広がっています。小泉内閣が頼みの綱とするアメリカでも、「靖国神社参拝は、日本人の戦争犯罪による犠牲者の子孫らに対する計算ずくの侮辱である」(ニューヨーク・タイムズ紙)という声が広がっています。ブッシュ大統領も、太平洋戦争について「東京が単に西欧植民地主義を、しばしばもっと過酷で抑圧的となるバージョンで置き換えた」と演説しています。「アジア解放のための戦争」という侵略戦争正当化論への批判です。首相参拝という靖国史観肯定の行動は、国際的孤立の道です。
■侵略美化の克服を
かつて日本が侵略し、植民地支配したアジアの国々は、独立を達成し、平和と共存への自主的な協力関係を強めています。
戦争から平和へ、従属から独立へ、分断から統一へと努力するアジアの国々とともに平和と協力の関係を発展させることは、日本の希望ある未来のために不可欠です。そのために、靖国神社参拝と侵略戦争美化の誤りを、日本国民の世論と運動で克服しなければなりません。