2006年1月5日(木)「しんぶん赤旗」
小泉会見 この異常
小泉純一郎首相の4日の年頭記者会見。新年の抱負を語るべき会見で打ち出したのは、相変わらず国民に痛みを押しつける「構造改革」の続行や、靖国神社参拝の正当化という、「小泉政治」の異常さを改めて示すものでした。
■靖国参拝
■外交悪化に拍車
■内外の批判「理解できぬ」連発
「日本人からの批判は理解できない。まして外国政府が一政治家の心の問題にけしからんというのは理解できない」。小泉首相は、内外から批判を浴びている自身の靖国神社参拝について、五回も「理解できない」を連発しました。批判される意味もわからない、逆に責任を転嫁する―小泉外交の深刻なゆきづまり状態を物語る発言です。
靖国問題で問われているのは、過去の侵略戦争を「自存自衛の戦争」「アジア解放の戦争」「大東亜戦争を引き起こした責任はアメリカにある」として正当化する歴史観、戦争観に立つ靖国神社に、日本政府がお墨付きを与える行動をとっていることです。小泉首相の五年連続の靖国参拝は、日本国憲法の基礎になっている侵略戦争への反省を投げ捨て、国連憲章にもとづく世界平和の枠組みの否定をも意味します。だからこそ、中国、韓国のみならず、小泉首相が頼みの綱とする米国政府・議会でも参拝に懸念・批判の声があがっているのです。
“参拝して何が悪い”“批判する方が問題だ”と開き直る小泉首相の態度は、憲法の精神と世界政治の常識を持ちあわせていないことを自認しているようなものです。
日本の国益を大きく損なうことになっている靖国参拝を小泉首相は「精神の自由、心の問題」とすりかえ、「精神の自由に政治が関与することを嫌う(日本の)言論人、知識人が批判することも理解できない」と、言論界や知識人の批判にもいっさい耳を貸さない姿勢です。
会見で小泉首相は「中国側、韓国側が会談の道を閉ざすことはあってはならない。いつでも話し合いに応じる。あとは先方がどう判断するかだ」と、首脳会談が途絶えている責任を中韓両国になすりつけました。自らの言動が阻害要因となっていることへの無自覚さを飛び越え、日中、日韓関係悪化となっている中心問題の意図的なすりかえです。「ポスト小泉」ととりざたされる麻生太郎外相も日中両国の首脳会談について「向こうが会わない」と原因と結果を逆さまにして日中関係の悪化を招いています。この事態に、さらに輪をかける首相の発言です。(高柳幸雄)
■「構造改革」
■弱肉強食 反省なし
■「決着をみた」と自賛
小泉首相は、首相が言いつづけた「改革なくして成長なし」について、「決着をみた四年間だった」と誇ってみせました。しかし、「決着」をみた中身とは何だったのでしょうか。
小泉流の「改革」は、一部大企業の「成長」のために、中小企業、雇用や家計を犠牲にし、社会の格差をいっそう広げるということです。
小泉首相の自慢は、不良債権の処理です。
小泉内閣は、発足当初から不良債権処理を「構造改革」の最優先課題と位置付け、人と資金を効率性の低い部門から成長部門に移すと宣言しました。
これは、財界の強い要望を受けたものでした。財界は、不良債権の最終処理をテコに「プレーヤーを減らせ」(財界首脳)と露骨でした。“弱い者は市場から去れ”という弱肉強食社会の徹底です。
不良債権の最終処理とは、銀行の企業向け融資を強引に回収するか、倒産に追い込むこと。多くの中小企業が「不良債権」扱いされて、倒産に追い込まれました。大企業は、人減らし・リストラ競争に走ります。
完全失業率が5%を上回っても、財界は「一喜一憂するな」と小泉内閣にハッパをかけつづけました。
小泉内閣は四年余を経て、不良債権問題の終結を宣言。失業率も倒産も依然として高水準ながら、表面上は一時期と比べれば落ち付いたかのようにみえます。
しかし、内実はがらりと変わりました。トヨタ自動車など一部の大企業は空前の大もうけを記録し、企業の「金余り」(余剰資金)は八十三兆円にも積み上がりました。一方、国民の所得(雇用者報酬)は減り続けています。正社員を減らし、非正規雇用への置き換えをすすめた結果、労働者の三人に一人、若者の二人に一人は不安定雇用のもとにおかれています。
「『構造改革』とは、一言で言えば、競争社会をつくること。弱い者は去り、強い者が残るということ」
小泉「改革」を経済財政担当相として推進した竹中平蔵氏(現総務相)が、かつて本紙に語った言葉です。それを現実のものにすることが、それほど自慢なのか。弱肉強食社会づくりをはねかえす社会的連帯が、ますます求められています。(渡辺 健)