2006年1月26日(木)「しんぶん赤旗」
靖国参拝は「反省の行動」か
事実逆さに描く首相答弁
「いま問われているのは、首相の『心』ではなく、参拝という行為であり、それが客観的にもっている意味だ」―二十五日の参院本会議で日本共産党の市田忠義書記局長は小泉純一郎首相にこう迫りました。
ところが首相は、「戦争の反省を踏まえて、行動で反省を示してきたのが戦後六十年間の日本社会、日本国民の姿である」などとのべ、自らの靖国神社参拝が戦後の日本の平和世論の流れと合致するものだと逆さまに描き出しました。
憲法違反である自衛隊のイラク派兵を憲法前文を持ち出して正当化するといった小泉首相独特の詭弁(きべん)です。
再び戦争は起こさないという国民の平和世論こそが「反省を行動で示し」、アジア諸国との信頼を形成してきたのです。靖国神社への度重なる参拝で、その信頼を台無しにしている張本人こそ小泉氏本人ではありませんか。
首相は、日本の侵略戦争を「アジア解放の正義の戦争」と正当化する靖国神社の歴史観・戦争観と、自らの参拝は「別の問題」とものべました。しかし、市田氏が指摘したように、首相の行為は、靖国神社の立場に「お墨付き」を与えるものにほかなりません。
その当たり前の道理さえ理解しないばかりか、「批判しているのは中国と韓国だけ…、ブッシュ大統領が批判したことは一度もない」と開き直るに至っては、あいた口がふさがりません。
一つは、日本の侵略による被害を受けた国からの批判をまともに受けとめようともしない姿勢に対してです。
もう一つは、中韓以外のアジア諸国はもちろん、盟友アメリカからの批判にさえ耳を貸そうとしないからです。市田氏が指摘したように、ブッシュ大統領は昨年八月の対日戦勝六十周年記念演説で、日本の戦争は「アジア解放」ではなく、「西欧植民地主義をもっと過酷にした」と批判しました。二十三日に来日したゼーリック米国務副長官は安倍晋三官房長官との会談で日中関係悪化についての懸念を表明しています。
世界では当たり前の道理さえ理解しない首相が「国際政治に参加する資格さえ問われる」(市田氏)のは当然です。(中祖寅一)