2006年2月22日(水)「しんぶん赤旗」
戦犯的体質が受け継がれているとは?
〈問い〉 第24回党大会報告の「過去の侵略戦争を正当化する異常」の項に「わが国では、侵略戦争を推進した勢力の後継者が、戦後も、アメリカ占領軍の方針のもとに、反省抜きに政権を握りつづけ、その戦犯的体質が今日にいたるまで受け継がれている」とありますが、具体的にはどういうことですか?(大阪・一読者)
〈答え〉 第二次世界大戦後、日本、ドイツ、イタリアがおこなった侵略戦争を断罪し、このような戦争を二度と引き起こさないことは、世界政治の共通の原点となりました。
国連憲章は、この立場から世界の平和秩序のルールを定めたものです。日本でも、政府が引き起こした戦争への反省は、憲法に明記されました。
しかし、日本の現実の政治は、この線にそっては展開されませんでした。中国革命の進展に直面したアメリカは1947年ごろから、対日占領政策を急転換し、日本を反共の基地にしようとし、それまでの戦争責任追及の方針を変更したからです。
東京裁判の言い渡しの翌月(48年12月)には、A級戦犯容疑者19人(この中には、その後首相になった岸信介がふくまれる)が釈放され、翌年2月には、東京裁判に続くA級戦犯裁判が打ち切られました。
アメリカの占領の終了とともに、戦争犯罪人への減刑、釈放がすすめられ、56年3月までにA級戦犯容疑者全員が釈放されました。
こういう動きのなかで、A級戦犯容疑者が日本政治の中枢の地位につくようになりました。
54年、鳩山内閣が生まれたときには、太平洋戦争を始めた東条内閣の外務大臣で、A級戦犯として禁固7年の有罪判決を受けた重光葵が、外相に任命されました。翌年、保守党の大合同で現在の自由民主党が結成されますが、初代の党幹事長になったのは、東条内閣の商工大臣で、A級戦犯容疑者として逮捕された岸信介でした。岸はその翌年には、石橋内閣の外相になり、その次の年には首相になりました、日米安保条約は、この岸内閣が結んだものです。
63年には、東条内閣の大蔵大臣で、A級戦犯として終身禁固の判決をうけた賀屋興宣が、池田内閣の法務大臣になりました。
こういうことは、ヨーロッパでは起こりえなかったことです。しかし、日本では「戦争肯定」派の人脈がいまも続き、過去の戦争に無反省でいるという「異常さ」があるのです。(村)
〔2006・2・22(水)〕