2006年3月8日(水)「しんぶん赤旗」

川上貫一代議士の国会除名とは?


 〈問い〉 メール問題で民主党の永田寿康衆院議員が懲罰委員会にかけられていますが、過去に国会除名された中に、共産党の川上貫一議員がいますが、なぜ除名されたのですか?(東京・一読者)

 〈答え〉 1951年の日本共産党・川上貫一議員の国会除名と今回の民主党・永田議員の偽メール質問に対する懲罰とは、問題の性質がまったく違います。

 51年当時、日本はまだアメリカ占領軍の支配下にあり、共産党は占領軍総司令官マッカーサーの指令(50年6月6日)で党幹部が公職追放され、36人いた党議員団も20数人になっていました。しかし、世論は単独講和でなく全面講和を求める動きが大きくなっていました。

 そういうなかで同年1月27日、衆議院本会議で川上氏は、「…国民の大多数は単独講和に反対しておる。…再軍備に反対しておる。同時に占領軍の早期撤退を望んでおります。…ここに日本国民の名において、かような政治を即時中止して、日本国憲法を守って、ポッダム宣言に基づく全面講和を実現するいっさいの政策を実行することを要求するものであります」と1時間近い代表質問に立ちます。〈このいわゆる「除名演説」全文は川上著『たたかいの足おと』(新日本出版社)にあります。衆院会議録ではかなり削除されています〉

 これにたいして自由党、民主党(後に合同して自由民主党になる)の一部が「不穏当な表現」で「議院の品位」を傷つけたとして、懲罰動議を提出しました。川上氏は「この質問はごうも威信を傷つけておりません。品位を傷つけていない。一体、国会の威信とは何であるか。戦争に反対し、再軍備に反対し、平和と民族独立のために忠実なことが威信である。…私は、この威信、この品位を完全に守っておると思うております」(同年1月31日衆院本会議の「一身上の弁明」)とのべ、屈しませんでしたが、動議は可決され懲罰委員会にかけられます。

 その後、同委員会は川上氏の反論をうけ、「演説内容は問題にしない。ただ、その表現が不穏当である。…よって、本会議で陳謝すべし」とし、本会議に付託。「陳謝」を拒否したことで「国会除名」という暴挙が強行されたのです。

 今回のように、民主党自身が本物でないことを認めたメールについての懲罰問題とはちがって、川上氏の国会除名は、現憲法下ではあってはならない、国会での発言にたいする言論抑圧そのものです。

 川上氏の質問は、日本共産党が占領下でも国民の利益を代弁し平和と民主主義のために不屈にたたかった誇るべき党の歴史の1ページといっていいものです。(喜)

 〔2006・3・8(水)〕


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