2006年3月26日(日)「しんぶん赤旗」
薬害エイズ和解10年
消えぬ悲しみ 根絶誓う
記念集会開く
薬害エイズ裁判和解十年を記念する集会が二十五日、東京都内のホテルで開かれました。国と旧ミドリ十字(現三菱ウェルファーマ)など製薬会社五社に損害賠償を求めて裁判をたたかってきた東京と大阪のHIV訴訟原告団と同弁護団が主催。犠牲者に黙とうと献花をしたあと、ノンフィクション作家の柳田邦男さんが「法的和解と終わらない人生と」と題して記念講演しました。
「昨年十三回忌を済ませました。息子の残した荷物を整理しながら改めて怒りが込み上げてきました」とこの十年を振り返るのは、東京都内の男性遺族(77)です。この男性遺族は、帝京大学病院で血友病治療の最高権威といわれた安部英元副学長(故人)から治療をうけた息子がなぜエイズで死ななければならなかったのか、民事訴訟の和解成立後も刑事責任を問われた安部被告や厚生省元生物製剤課長の松村明仁被告の裁判を欠かさず傍聴してきました。
「安部被告からは謝罪の言葉は聞かれなかった。そのことが一番悔しい。血友病患者の被害者には私の息子よりも若い方もいます。こうした被害者のために命ある限り支援していきたい」とこれからの十年について話していました。
「息子が亡くなったのも和解した一九九六年です。生きていたら二十七歳の青年になっていたはずです。必死に生きた息子の頑張りでこれまでこれましたが、十一年目のこれからは自分の力で薬害について伝えていきます」と話すのは神奈川県厚木市の男性遺族(52)。「兄弟たちも十年前に何があったのか調べだしています。凍り付いていた心がようやく外向きに開いたところです」
HIV感染被害者の札幌市の井上昌和さんは「薬害エイズは終わっていません」と、深刻な被害について語ります。
「HIV感染とともにC型肝炎ウイルスにも重複感染しているのが血友病患者被害者です。肝硬変から肝がんで亡くなる仲間も増えています。私も妻も仕事を辞めて治療に専念する人生に百八十度変わりました。薬害エイズの後も薬害ヤコブ、薬害C型肝炎、薬害イレッサと、薬害が繰り返し起きています。国の責任、製薬企業の責任、そして医師の責任として安部被告の判決がほしかった」
東京HIV訴訟原告団の佐々木秀人代表は「けっして消えない悲しみのなかにいる遺族をやさしく包む社会になることを願っています。私たちは生きるためのたたかいを続け、薬害根絶のために社会に参加していきます」と新たな十年に向かって生きる決意を述べました。
日本共産党の小池晃参院議員が出席しあいさつしました。
薬害エイズ裁判 アメリカの売血でつくられた輸入非加熱血液製剤でエイズウイルス(HIV)に感染した血友病患者らが一九八九年に旧厚生省とミドリ十字など製薬会社五社に損害賠償を求めて東京と大阪の両地裁に提訴。日本の血友病患者約五千人のうち千五百人がHIVに感染、これまで五百八十六人がエイズで亡くなりました。提訴から約七年後の九六年三月二十九日に国と製薬会社は責任を全面的に認めて和解が成立しました。