2006年4月29日(土)「しんぶん赤旗」
終戦直後、米進駐軍の慰安婦を政府が募集したって本当?
〈問い〉 終戦直後、進駐軍の性的「慰安」施設がつくられ、「慰安婦」を政府が募集したというのは本当ですか?(東京・一読者)
〈答え〉 日本政府は敗戦直後アメリカの進駐を控え、「良家の子女を守るため」にということで、米軍の性的「慰安」施設の設置を計画しました。
内務省は、終戦の3日後の1945年8月18日、「外国軍駐屯地における慰安施設の設置に関する内務省警保局長通牒(無電)」を各都道府県に発し、各県警はこれに基づいて急きょ、米兵の性的「慰安」施設を各地に設けました。
「埼玉県史通史編7 米軍基地と『買春問題』」ではこの通牒の全文を載せています。(「外国駐屯軍慰安施設等整備要綱」。要綱は4項からなり、その3項で「性的慰安施設、飲食施設、娯楽場」をあげ、4項で「営業に必要な婦女子は、芸妓、公私娼妓、女給、酌婦、常習密売淫犯者を優先的に充足するものとする」としています)。
警察が積極的に「慰安」施設を設置したことは、各県警の「警察100年史」等にもリアルに記述されています。
広島県警の歴史 全警察官が慰安婦募集に、慰安所は押すな押すなの盛況 「まことに残念なことではあるが、占領軍人にたいする性的慰安施設を設営するという幇間(ほうかん)まがいの仕事を警察がせねばならなかったのである」
北海道警察史2昭和編 「昭和12年には1052名を数えていた本道の娼妓も終戦時においてはわずか450余名にすぎなかった。この人員では2万名に及ぶ進駐軍将兵に接するには不十分であり従って、経験ある婦女子の確保が警察部の大きな課題であった。警察官自身も農村漁村を訪ね、毛布、足袋、砂糖を贈って説得し、協力を求めた。…本道の特殊慰安婦は総勢770名に増強された」
兵庫県警察史 警部・警部補が遊女屋の設営作戦「保安課の任務は何か? 外でもないそれは8月18日に内務省が発した『占領軍の進駐時に合うように進駐軍将兵用慰安施設の設営を急げ』という緊急指令を実行する事であった。内務省の指令は、いわば性の防波堤を築こうというわけである」
日本共産党の吉川春子参院議員は、96年11月26日の決算委員会で、各県警の警察史の記述を示して政府の責任を追及しました。第2次大戦中は日本軍のために、敗戦後は米兵のために、「慰安」施設を設置した政府の態度には女性に対する人権意識のかけらもありません。戦時中の「慰安婦」問題とともに米兵の「慰安」施設問題もきっぱりと総括するべきです。(有)
〔2006・4・29(土)〕