2006年5月4日(木)「しんぶん赤旗」

光州事件とは?


 〈問い〉 韓国で1980年に起こった光州事件について、韓国内では見直しがすすんだと聞きますが、どんな事件だったのですか?(北海道・一読者)

 〈答え〉 光州事件とは1980年5月、全斗煥(チョン・ドファン)軍政下の光州(クワンジュ)で起きた民主化を求める運動と軍事政権による弾圧のことです。韓国では「5・18光州民主化運動」と呼ばれています。

 03年1月に韓国政府が発表した「光州有功者」数によると、死者207人、負傷者2392人、その他の被害者が987人、05年5月に5・18遺族会などの市民団体が発表した調査結果では、けがや後遺症による死亡もふくめ死者は606人に達します。

 事件は、1979年10月、朴正煕大統領が射殺され、「ソウルの春」とよばれる全国的な民主化を求める国民運動の盛り上がりの中で起こります。

 軍を掌握した全斗煥は民主化運動を抑えるため、80年5月17日、金大中氏らを連行。これにたいして、光州市では戒厳令撤廃と金大中氏釈放を求める大規模なデモが起きます。軍は市内各所で武力弾圧を開始、21日には全羅南道庁舎前で軍による無差別発砲で数十人の市民が射殺され、これを機に、市民と軍との銃撃戦に発展。市民は、事態収拾のため「市民収拾委員会」を組織し、軍との交渉で武装解除に合意しますが、一部が武装解除を拒否。27日には軍が市内に突入し、多数が死亡しました。

 こうして全斗煥は、同年9月に大統領に就任、87年まで軍事独裁を続けました。全斗煥らは軍事裁判で、事件を「金大中氏を中心とする内乱陰謀事件」とし、同氏に死刑を宣告、多数の民主化運動家を投獄しました。しかし、金大中氏の救命を求める国際的非難に直面し同氏を「刑執行停止」で釈放、87年、ソウル大学生を警察が拷問死させた事件が発覚するなかで、ついに与党代表だった盧泰愚は「民主化宣言」を発表、憲法改正(大統領直接選挙など)を受け入れ、軍事政権は崩壊しました。

 88年、盧泰愚大統領は「光州事件の性格」を「学生と市民の民主化のための努力」と規定し、犠牲者に対する政府の補償を約束、盧大統領が光州を訪れ、「光州事件の解決なくしては国民の和解は達成できない」と語りました。90年には被害者への補償法が成立。これによって、光州事件は「暴徒による暴動」ではなく、全国的な民主化運動の流れの一環とされたのです。

 さらに、文民政権として発足した金泳三政権下の95年には、全斗煥と盧泰愚は、内乱罪で起訴され、無期懲役、懲役17年の判決を受け服役(97年12月、赦免で釈放)、ことし3月21日には、光州事件に関与した全斗煥、盧泰愚・元大統領ら83人に授与した勲章をはく奪しました。(面)

 〔2006・5・4(木)〕


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