2006年6月10日(土)「しんぶん赤旗」
徴兵は命かけても阻むべし…の作者はどんな人
〈問い〉 以前、「徴兵は命かけても阻むべし…」という歌があったと記憶していますが、作者はどんな人でしたか?(福岡・一読者)
〈答え〉 「徴兵は命かけても阻むべし母・祖母・おみな牢(ろう)に満つるとも」
石井百代(ももよ)さん(1903年1月3日―82年8月7日)が、78年にこの短歌を詠んだのは75歳のときでした(同年9月18日付朝日新聞「朝日歌壇」に掲載)。福田赳夫首相が有事立法の研究を指示した情勢のもとで詠まれました。
選者の近藤芳美さんは選評で「…『母・祖母・おみな牢(ろう)に満つるとも』という結句にかけてなまなましい実感を伝えるものがある。一つの時代を生きて来たもののひそかな怒りの思いであろう」と書きました。
戦争中は東京都に住み、3男4女の母でした。夫・正(ただし)さんは軍医としてマニラに。病弱だった大学1年生の長男・立(たつ)さんは火薬廠(しょう)に動員されます。二男は陸軍幼年学校、士官学校、航空士官学校を経て外地に。戦後、立さんが出版社に勤め労働組合運動に参加するようになり、その影響もあって夫婦は進歩的な考えを持つようになります。
51年4月、夫は、静岡県相良町(さがらちょう。現・牧之原市)で耳鼻科の医院を開業。百代さんは、夫と一緒に読書会、映画研究会に入って地元の青年たちと交流。夫婦で日本共産党後援会の世話役もしました。
「しんぶん赤旗」日曜版の「読者文芸 にちよう短歌」にもしばしば投稿。「マルクスの読書会終えわが夫と帰るこの夜の月澄みまさる」(65年12月5日号)と読書会のことを詠んでいます。
69年8月に夫が亡くなってから、東京都世田谷区に住むようになりました。
「徴兵は…」の短歌が発表されてから本紙記者が百代さんにインタビューしたとき「私は兄、おい、二人のいとこ、義弟を戦死させています。息子は病気で徴兵をまぬがれましたけど…」「でも私はあの戦争を聖戦と思い込んで、息子を戦争に差し出そうとしていたんです」と語っていました。
罪ほろぼしのつもりで、と百代さんは女性の団体「草の実会」で平和問題などの学習をすすめます。そのなかで知った有事立法の動き。この短歌は体を張ってでも孫たちを戦場には送らないという彼女の決意でした。この歌は草色のスカーフに白く染め抜かれ、人々の口から口へと伝えられました。当時、自民党政府は有事立法に踏み切ることはできませんでした。
選挙では日本共産党を応援しました。80年6月の衆参同時選挙の時、「投票は誰にしてよいか分からないのでいくまいと思う」という女性に、百代さんは「平和を守るために、ぜひ共産党へ投票なさい」とすすめています。(義)
〔2006・6・10(土)〕