2006年7月20日(木)「しんぶん赤旗」
ユーゴスラビアの歴史と現在は ?
〈問い〉 非同盟についての本を読んでいますが、ユーゴスラビアの歴史と現在がよくわかりません。いまの状況、日本共産党の見方を教えてください?(東京・一読者)
〈答え〉 オーストリアやトルコなどの支配が続いていたバルカン半島に、はじめて南スラブ諸民族の統一国家ができたのは1918年のことです。第2次世界大戦中この地を侵略したナチスにたいし、ユーゴ共産党の指導者チトーが率いるパルチザン部隊が抵抗運動を展開。民衆の支持を広げ、45年に諸民族の平等をうたうユーゴスラビア連邦人民共和国(63年に同社会主義連邦共和国に改称、以下ユーゴ)を建国しました。
この国は、大国主導の軍事ブロックに反対し、自主的な内外政策をすすめたことで、国際的な注目を集めました。建国当初はソ連をモデルに「社会主義国」建設をめざしましたが、まもなく自主独立の立場を強化。これを許さないソ連の指導者スターリンによって、コミンフォルム(共産党・労働者党情報局)から追放されます。ユーゴは独自の試みとして「社会主義的自主管理制度」を導入し、経済発展をとげました。また対外的には、非同盟運動の提唱国の一つとして重要な役割を果たしました。
多民族国家のユーゴでは、日本の3分の2ほどの国土に20をこえる民族が混住。連邦は6つの共和国と2つの自治州から構成され、過去の民族対立の再燃を防ぐ目的で、連邦幹部会の議長(国家元首)は各共和国と自治州の代表が1年ごとの輪番でつとめました。しかし、連邦の支柱として国民から大きな信頼をえていたチトーが80年に死去してからは、経済の低迷を背景に、地域間格差の問題や、共和国同士の利害対立により、くすぶっていた民族主義が表面化していきました。
ユーゴの崩壊のはじまりは、91年6月のクロアチア、スロベニア両共和国の独立宣言でした。これを阻止しようとしたセルビア主導のユーゴ連邦軍とのあいだで軍事衝突が勃発。さらに、民族のモザイクと呼ばれたボスニアでも民族間の対立があおられ、ユーゴでの民族紛争はますます激化しました。いま、国際社会の介入のもと和平プロセスが進行していますが、セルビア共和国内コソボ自治州のアルバニア系住民の問題など、未解決の問題も残っています。
なお、旧ユーゴとは、92年にセルビアとモンテネグロが樹立を宣言した新ユーゴスラビア連邦にたいして使われる呼び名です。06年6月にモンテネグロが住民投票の結果をふまえ独立を宣言したことで、旧ユーゴを構成していた共和国すべてが独立国となりました。(知)
〔2006・7・20(木)〕