2006年7月21日(金)「しんぶん赤旗」

昭和天皇の「不快感」発言

“靖国”派戦略にのった
小泉首相の道理なさ示す


 今回明らかになった昭和天皇の発言に関連して、本紙論文「首相参拝と“靖国”派の要求」(二〇〇五年六月十一日付)があらためて注目されます。同論文が指摘したように、日本の侵略戦争を「正しい戦争」だったとする“靖国”派は、まず首相に靖国参拝をさせ、それを政府の閣僚の全員と三権の長を勢ぞろいさせた行事に発展させ、さらには天皇の参拝を実現することで、“靖国史観”を日本の国論とすることを狙ってきました。

 実際、中曽根康弘首相の靖国公式参拝(一九八五年)以来、首相の公式参拝が途絶えてきたなかで、“靖国”派は首相参拝を繰り返し要求してきました。九九年には、“靖国”派の「英霊にこたえる会」が中心となって決起集会を開催し、「三権の長等の靖国公式参拝に関する請願書」を採択しました。同請願書には、「靖国神社への(天皇の)御親拝を閉ざしているのは、歴代内閣総理大臣の…靖国神社参拝を躊躇(ちゅうちょ)してはばからない不決断にある」と非難し、「三権の長が揃(そろ)って公式参拝して、陛下の御親拝の道を切り拓き、大御心(おおみこころ)に副(そ)い奉る措置を講ずるべきである」と求めていました。この立場が、靖国神社の遊就館で連日上映されているドキュメント映画「君にめぐりあいたい」(二〇〇〇年製作)でも表明されています。

 その後、“靖国”派は、この計画にそって、首相や国会議員、都知事などに靖国参拝を執拗(しつよう)に働きかけ、二〇〇〇年には石原慎太郎都知事の靖国参拝を実現させました。小泉首相が二〇〇一年の自民党総裁選で、靖国参拝を公約にし、その後参拝を継続したのも、こうした要求に首相として初めて応じたものでした。

 “靖国”派のなかでは、A級戦犯合祀(ごうし)と“靖国史観”は分かち難く結びついています。靖国神社の湯浅貞前宮司は『正論』〇五年八月号で、A級戦犯合祀を決めた崇敬者総代会で「A級戦犯だけ合祀しないのは極東裁判(東京裁判)を認めたことになる」との意見が出たことを紹介しています。つまり、A級戦犯を合祀しないと、日本の侵略戦争を裁いた極東国際軍事裁判を認めることになり、ひいては日本が起こした戦争が侵略戦争だったと認めることになるというのです。

 今回、昭和天皇が“靖国史観”と結びついたA級戦犯合祀に「不快感」を示し、そのことを理由に参拝しない旨を語っていたことで、天皇参拝を実現させ、それを通じて“靖国史観”を国論にするというシナリオと目標は破たんしました。

 昭和天皇自身、日本の侵略戦争の最高責任者だったことは明白であり、その責任は免れません。しかし、天皇を“靖国史観”を国論とするために最大限に利用していた“靖国”派にとって天皇発言は重大な打撃です。

 同時に、“靖国”派の野望にそった小泉首相の靖国参拝の道理のなさも、いっそう浮き彫りになりました。

 昨年五月の不破哲三議長(当時)の時局報告会での講演「日本外交のゆきづまりをどう打開するか」以来、日本の侵略戦争を「正しい戦争」とする“靖国史観”が浮き彫りにされ、小泉首相の靖国参拝に対する包囲網は大きく広がりました。国際的にはアジア諸国からだけでなく、アメリカ政府内からさえ懸念の声があがり、国内でも言論界、財界、外交官OBなどが批判しています。日本のアジア外交の深刻なゆきづまりとともに、“靖国”派が追いつめられていました。そのなかで、今回の報道をきっかけに局面が大きく展開する可能性をはらんでいます。(藤田健)


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