2006年8月13日(日)「しんぶん赤旗」
靖国参拝 首相の言い分総崩れ
やっぱり中止しかない
小泉純一郎首相が終戦記念日(十五日)の靖国神社参拝へ強い意欲をにじませながら、「公約は守るべきだ」などと開き直りの発言を続けています。五年連続の参拝を強行してきた首相ですが、その言い分の根拠も総崩れとなっています。(小林俊哉)
「心の問題だ」…… 私事のはずが「公約」に
小泉首相は、靖国参拝のたびに、「二度と戦争を起こしてはいけないという決意を新たにした」(二〇〇三年一月十四日の三度目の参拝で)などと“不戦の誓い”であると強調してきました。
しかし、これが通用しなくなると強調しだしたのが「心の問題だ」との言い分です。首相として五度目となった昨年十月の参拝では、「本来、心の問題に他人が干渉すべきではない」とのべ、同様の主張を随所で繰り返しています。
ところが、小泉首相は今月九日になって、首相になる際に「総理大臣に就任したら八月十五日にいかなる批判があろうと必ず参拝する」と発言したことについて記者団に問われ、「公約は生きていますから。守るべきものだ」と強調しだしました。
これまで「心の問題」だといって、いかにも靖国参拝が“私事”であるかのように言い逃れてきたのに、今度は自らの積極的な政治的行為として参拝すると公言する――これまでの言い分がいかにデタラメだったかを自分で証明することにほかなりません。
もともと、靖国神社は、天皇のために命を投げ出した兵士たちの武勲をほめたたえる施設であり、“不戦の誓い”にまったくふさわしくありません。そのうえ、日本の過去の侵略戦争を「自存自衛のやむを得なかった戦い」「アジア解放の戦争」と正当化している同神社に参拝することは、“靖国史観”を政府として認知することにつながる行為です。首相の「心の問題」などという次元の問題ではありえません。
「内政干渉だ」…… 米でも批判、外交は孤立
「心の問題」論と並んで、首相が言い逃れに使っているのが、「中国がいけないと言っているからいけないんですか」(〇六年二月八日、衆院予算委員会)という中国政府による“内政干渉論”です。十日にも「日本の首相がどこの施設に参拝しようが、批判されるいわれはない」といらだちを見せました。
この言い分も、中国、韓国だけでなく、東南アジア諸国連合(ASEAN)各国の政府首脳からも公然と批判があがり、米国でも批判が広がるなど、破たんしたものです。“靖国史観”を認知することは、日本、ドイツ、イタリアがおこなった犯罪的な侵略戦争の反省の上に立つ戦後の国際秩序に挑戦することになるからです。日本外交への懸念は、国内問題にとどまらず、重大な国際問題となっています。
しかも、日本外交をゆきづまらせ、孤立させている首相の靖国参拝をやめよとの声は、国外だけでなく、日本の政界、官界、財界からもこぞってあがっています。
靖国神社への参拝を「公約」だといって最優先し、国益――日本外交をかえりみない姿勢は、首相として許されるものではありません。
小泉首相は、これまで八月十五日に参拝を強行できなかったことについて、「終戦記念日やその前後の参拝にこだわり、再び内外に不安や警戒を抱かせることはわたしの意に反するところだ」(〇二年四月二十一日)と説明してきました。そうであるなら、歴史逆行の誤りをすみやかに是正するためにも、靖国参拝自体を即刻中止すべきです。
■小泉首相の靖国関係語録
【2001年】
4月18日 総理大臣に就任したら8月15日にいかなる批判があろうと必ず参拝する(自民党総裁選の公開討論会で)
8月13日 今日の日本の平和と繁栄は、先の大戦で心ならずも命を失った戦没者の犠牲の上に成り立っている(1度目の参拝で)
【2002年】
4月21日 終戦記念日やその前後の参拝にこだわり、再び内外に不安や警戒を抱かせることはわたしの意に反するところだ(2度目の参拝後に発表した「所感」で)
【2003年】
1月14日 二度と戦争を起こしてはいけないという決意を新たにした(3度目の参拝で)
【2004年】
1月1日 初詣では日本の伝統。いいことだと思う(4度目の参拝で)
【2005年】
6月2日 靖国神社の考えは政府の考えと違う(衆院予算委)
10月17日 本来、心の問題に他人が干渉すべきではない。ましてや、外国政府が、日本人が日本人あるいは世界の戦没者に哀悼の誠をささげるのをいけないとかいう問題ではない(5度目の参拝で)
【2006年】
1月4日 一政治家の心の問題に対して靖国参拝はけしからんということが理解できない(年頭の記者会見で)
8月3日 中国が反対しているから靖国参拝はやめた方がいい、中国の嫌がることはしない方がいいということになるように思えてならない(「小泉メールマガジン」で)
8月9日 公約は生きていますから。守るべきものだと思います(記者団に)