2006年8月29日(火)「しんぶん赤旗」
検証 安倍晋三語録
歴史観
侵略戦争への反省皆無
安倍晋三官房長官の歴史に関する考えの基本は、「その時代に生きた国民の視点で、虚心に歴史を見つめ直してみる。それが自然であり、もっとも大切なことではないか」(『美しい国へ』)というものです。「国民の視点」といいますが、「あの時には、あの時のわが国の主張があった」(『「保守革命」宣言』)ともいっており、結局、侵略戦争を指導した当時の政府の合理化論をそのまま受け入れよとの主張にもなりかねません。
小泉純一郎首相の靖国神社参拝では、「(国家を)命を投げうってでも守ろうとする人がいない限り、国家は成り立ちません。その人の歩みを顕彰することを国家が放棄したら、誰が国のために汗や血を流すかということですね」(『この国を守る決意』)と当然視。靖国神社崇敬奉賛会主催の公開シンポジウム(二〇〇四年十一月二十七日)にも出席し、「小泉総理の意志を、次のリーダーもその次のリーダーもしっかりと受け継いでいくことが大切である」とのべました。
批判に耳貸さず
先の戦争が侵略戦争かと問われても、「歴史家の判断に待つべきではないか」と逃げています。アジア諸国からの批判には、「各国がそれぞれの歴史認識をもつのが自然です」(『安倍晋三対論集』)と居直りです。
これでは、日本政府自身の村山富市首相談話(一九九五年)や、小泉首相が発言した「侵略と植民地支配への痛切な反省とお詫(わ)び」という立場さえ認めないだけでなく、批判にはいっさい耳を貸さないという態度と同然です。
A級戦犯を擁護
また、小泉首相はA級戦犯を「戦争犯罪人だ」とのべていますが、安倍氏は、「A級戦犯」は国内法的には犯罪者ではないと強調し、擁護する姿勢さえみせています。安倍氏の言い分は、日本の国内法で戦争犯罪を裁かなかったということをもって、A級戦犯を免罪することにもつながる議論です。
ほかにも、主権在民の意識を欠く天皇中心史観や、侵略戦争に駆り出され、命を落とした青年たちを当時の発想そのままにたたえる発言……。安倍氏の発言には、日本人とアジアの諸国民をとたんの苦しみに追いやった侵略戦争の反省は皆無です。日本、ドイツ、イタリアがおこなった戦争が、犯罪的な侵略戦争だったという共通認識に立つ戦後の国際秩序の土台とはあいいれません。
【侵略戦争の合理化】
「あの時には、あの時のわが国の主張があった。だとすれば、その時代の人達がどう思ったのかということにもまず思いを馳せていくべきではないか」(共著『「保守革命」宣言』)
「日本国民は、天皇とともに歴史と自然を紡いできたんです」「日本の歴史がひとつのタペストリー(つづれ織り)だとすると、その中心に一本通っている糸はやはり天皇だと思うのです」(『安倍晋三対論集』)
「国のために死ぬことを宿命づけられた特攻隊の若者たちは、敵艦にむかって何を思い、なんといって、散っていったのだろうか」「死を目前にした瞬間、愛しい人のことを想いつつも、日本という国の悠久の歴史が続くことを願ったのである」(『美しい国へ』)
「一国のリーダーがその国のために殉じた方々の冥福を祈り、手を合わせ、尊崇の念を表する。これは当然の責務です。小泉総理もその責任を果たされているわけですが、次のリーダーも当然、果たさなければなりません」(『対論集』)
「侵略戦争をどう定義づけるかという問題も当然ある。学問的に確定しているとはいえない」「さきの大戦をどのように定義づけるかということは政府の仕事ではない。歴史家の判断に待つべきではないか」(二〇〇六年二月十六日、衆院予算委員会)
「今のスタンダードでもって、当時の状況を断罪しても、あまり意味のないことだ」(〇五年七月三十一日、日本共産党の志位和夫委員長とのテレビ討論で)
【A級戦犯の擁護】
「(A級戦犯は)国内法的には犯罪者でないと国会で答弁されている。講和条約を受け入れたから参拝すべきでないという論議は、全くトンチンカンだ」(〇六年七月二十三日)
「ナチスドイツが行なったジェノサイドは戦争とは関わりのない国家犯罪で、日本の戦争犯罪とは規模、目的、性格がまったく違う」(『対論集』)
【従軍慰安婦の否定】
「従軍慰安婦は強制という側面がなければ(教科書に)特記する必要はない。この強制性については全くそれを検証する文書が出てきていない」(一九九七年五月二十七日、衆院決算委員会第二分科会)