2006年9月9日(土)「しんぶん赤旗」

「戦前は立憲君主制 天皇に戦争責任はない」のですか?


 〈問い〉 「戦前の日本は立憲君主制だったのだから天皇は戦争に反対できなかった」という意見があります。戦前の日本は絶対君主制ではなく、立憲君主制だったのでしょうか?(広島・一読者)

 〈答え〉 戦前の日本を考えるさいに大事なのは、(1)天皇制という国の仕組みと戦争とのかかわり(2)戦争の経過で天皇制と天皇が実際に果たした役割―の両面からみることです。

 国の仕組みという点からみると、1889年、天皇の命令で国民におしつけられた「大日本帝国憲法」(明治憲法)は、「大日本帝国は万世一系の天皇之を統治す」(第1条)、「天皇は神聖にして侵すべからず」(第3条)とうたい、「神」の子孫としての天皇が日本を支配すると宣言するものでした。

 立法、行政、司法の区別なく、国を統治する権限は、すべて天皇がもちました。「帝国議会」「国務大臣」「裁判所」も設けられましたが、いずれも天皇を助ける「協賛」機関とされ、その権限はかぎられました。

 軍隊への指揮と命令、宣戦・講和・条約締結の権限はすべて天皇がにぎり、天皇の固有の権限=「天皇の大権」とされた戦争と軍事の問題には、だれも口出しできませんでした。

 「信教の自由」、「言論著作印行集会および結社の自由」などの権利をみとめるとしましたが、「法律の範囲内」という制限つきでみとめられたものばかりで、国民の人権はきびしく抑圧されていました。

 こうした体制は、「国を統治する全権限を天皇が握る専制政治(絶対主義的天皇制)」(日本共産党綱領)であって、立憲君主制とはいえません。

 次に、戦争の経過そのものが、天皇制および天皇が果たした役割を実証しています。

 「満州事変」から中国への全面侵略、太平洋戦争、敗戦という全過程の現場にすべて立ち会って、一貫した形で決定に参加してきた人物というのは、昭和天皇以外にいません。あとは、首相、陸海軍の責任者など、どの指導的役職をとっても、人が変わります。

 たとえば、1931年9月の中国東北部への侵略(「満州事変」)を、出先の関東軍が引き起こしたのにたいし、特別の「勅語」で、侵略を「自衛」の行動として正当化したうえで、“急速に相手の大軍を破って勝利したのは大変立派だ。今後さらにがんばって、朕の信頼に応えよ”と、ほめたたえたのが昭和天皇でした。真珠湾攻撃のときの首相は、A級戦犯として死刑になった東条英機でしたが、連合艦隊がハワイにひそかに出発した段階でも、東条首相には、そのことが知らされず、閣僚たちが知るのは攻撃が終わってでした。

 天皇と軍部が全権をにぎり、侵略戦争を開始・拡大していった節目節目でそれを行使したというのが歴史の事実です。(喜)

 〔2006・9・9(土)〕


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