2006年9月18日(月)「しんぶん赤旗」
満州事変の発端となった柳条湖事件とは?
〈問い〉 満州事変の発端となった柳条湖(りゅうじょうこ)事件とは? 日本共産党はどんな態度でしたか?(東京・一読者)
〈答え〉 満州事変とは日本の中国東北部にたいする侵略戦争のことです。
柳条湖事件とは、その発端となった事件です(かつては柳条溝事件とされましたが正しい地名は「柳条湖」であるので訂正された)。日本はこの事件から1945年の終戦にいたる日中15年戦争の泥沼に突入します。
75年前の31年9月18日午後10時すぎ、奉天(現在の中国遼寧省瀋陽)の北方にある柳条湖の南満州鉄道のレールが爆破されました。中国に駐留していた日本陸軍・関東軍参謀の石原莞爾、板垣征四郎らの謀略によって、関東軍独立守備隊が爆破したものでした。
関東軍はこれを中国軍の仕業として、翌19日には、瀋陽、長春を占領。若槻礼次郎内閣は「不拡大方針」をだしましたが、24日の声明では関東軍の自衛行為と正当化。4カ月後の32年1月には天皇が関東軍の「忠烈」をたたえ、関東軍が主要都市を制圧した32年3月、かいらい政権「満州国」を建国します。中国はこれに抗議し国際連盟に提訴。国際連盟はリットン調査団を現地に派遣しますが、その報告書は日本を非難しつつも、強い制裁措置をとろうとしない融和的な内容でした。しかし日本はそれにも不満で国際連盟を脱退し、国際的孤立の道をえらびました。
各政党が侵略戦争を支持したのにたいし、日本共産党は、戦争開始の2カ月前から、「赤旗」紙上で、日本が「満州」であらたな侵略戦争をおこそうとしていることを暴露してこれとの闘争をよびかけました(“日本帝国主義の戦争準備と斗へ!”「赤旗」31年7月6日付)。
31年8月1日の「反戦デー」では、非合法の集会やデモを各地でおこない、「日本軍隊の『満州』、朝鮮及び台湾からの即時召還」を要求し、戦争開始の翌日には、全国の労働者、農民、兵士にたいする檄(げき)を発表して、「満州」における日本軍の進撃の真の意味と目的を説明し、「帝国主義戦争反対、中国から手をひけ」と訴えました。党が「赤旗」とあわせて、より広く訴えるために発行していた「第二無産者新聞」は、社説で「帝国主義戦争と闘え!」「一人の兵士も送るな!」「武器の輸送製作を中止せよ!」と、中国への侵略戦争を始めた最中に侵略戦争反対を堂々と国民によびかけました(31年9月25日付)。(喜)
〔2006・9・18(月)〕