2006年9月20日(水)「しんぶん赤旗」

治安維持法で多くの朝鮮の人が死刑 本当ですか?


 〈問い〉 治安維持法は、植民地であった朝鮮の独立運動の弾圧で猛威をふるい、多くの人が死刑になったと聞きました。本当ですか?(長野・一読者)

 〈答え〉 治安維持法は、国内の反戦平和のたたかいだけでなく、朝鮮の独立運動の弾圧に猛威をふるい、多くの人を死においやりました。

 同法は1925年5月、天皇の「勅令」によって、本国と同時に、朝鮮、台湾などの植民地にも施行されました。

 同法適用の最初は日本本土では26年1月の京都学連事件ですが、朝鮮ではそれより前の25年11月、66人が検挙された第一次朝鮮共産党事件があります〔京都大学人文研の水野直樹助教授「日本の朝鮮支配と治安維持法」(旗田巍『朝鮮の近代史と日本』所収)による〕。

 朝鮮半島における治安維持法を使った弾圧の残酷さは、本国ではなかった死刑が実行されたことにもあらわれています。

 同法違反で逮捕され、虐殺・獄中死したのは本国では、約2000人ですが、死刑判決はでていません。

 しかし、朝鮮では、「28年、斉藤実総督狙撃事件で2人に死刑判決」「30年、5・30共産党事件で22人に死刑判決」「33年、朝鮮革命党員徐元俊事件で1人に死刑判決」「36年、間島共産党事件で被告18人に死刑執行」「37年、恵山事件で5人に死刑判決」「41年、治安維持法で5人に死刑判決(第1審)」などの例があります。

 水野氏は、「日本国内では、28年から38年までの間に治安維持法違反で無期懲役を言い渡された者はわずか1名だったが、朝鮮では39名に上っている。懲役15年以上の刑について見ても、日本が7名であるのに対し朝鮮は48名となっている」としています(同前)。

 「朝鮮ノ独立ヲ達成セムトスルハ我帝国領土ノ一部ヲ僣窃シテ其ノ統治権ノ内容ヲ実質的ニ縮小シ之ヲ侵害セムトスルニ外ナラサレハ即チ治安維持法ニ所謂国体ノ変革ヲ企図スルモノト解スルヲ妥当トス」(新幹会鉄山支部設置にたいする治安維持法違反事件、30年7月21日、朝鮮総督府高等法務院判決)

 つまり、独立することは、日本帝国の一部を奪うことになる、というへ理屈で、植民地における独立運動は日本の「国体変革」の運動として、治安維持法違反とし、死刑をもってこれにのぞんだのです。

 戦後おこなわれた日韓会談の中でも、「韓国の国会では水原の虐殺事件、韓日併合直後の虐殺事件、あるいは36年の統治の間、治安維持法で投獄、死亡させられたりした点についての請求権を出さなくてはならない、…という意見もある」(53年10月15日の財産請求権分科委員会、洪韓国代表発言、日本国際問題研究所発行『日韓交渉』9ページ)と、問題にされました。(喜)

 〈参考〉吉岡吉典著『侵略の歴史と日本政治の戦後』(新日本出版社)

 〔2006・9・20(水)〕


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