2007年1月3日(水)「しんぶん赤旗」
本地垂迹(ほんぢすいじゃく)とは?
〈問い〉 仏教用語に「本地垂迹(ほんぢすいじゃく)」という言葉がありますが、どんな意味ですか?(静岡・一読者)
〈答え〉 日本に伝来した仏教経典のなかには、仏と神などの関係を説いた記述があります。これを、日本で古来から伝承されてきた神々と仏教の仏や菩薩などとの関係にあてはめた言葉が「本地垂迹」です。
日本で仏教が広まる以前は、さまざまな自然神や祖先神が崇拝されていました。仏教が流布すると神と仏の両方をいっしょに崇拝する(神仏習合とか神仏混淆といいます)ようになり、教義体系をそなえた仏教側は、仏や菩薩が本来の姿(本地)で仮に神に姿を変えて現れた(垂迹)と、両者の関係を整理しました。寺社の関係では、例えば奈良の興福寺には春日大社が、比叡山延暦寺には日吉大社が対になって、仏教側では神は仏を守護する立場としました。
飛鳥時代から権力者は仏教を利用してきましたから、神々は仏教に従属した地位でしたが、室町時代になってからは神道側から神主仏従が主張されるようにもなります。
明治元年(1868年)、新政府は神仏分離令(神仏判然令ともいいます)を布告します。この布告は、「王政復古、神武創業のはじめにもとづかせられ、諸事御一新、祭政一致の御制度にご回復あそばされ候につき」と、天皇家の祖先神をまつる伊勢神宮を頂点とする宗教的国づくりを宣言したものでした。この布告を契機に、諸国の神職出身者などが民衆を扇動して寺社を襲います(廃仏毀釈=はいぶつきしゃく=といいます)。
日吉大社の場合は、神体とされた仏像や経典などを焼き捨て、新しい神体が置かれました。興福寺の場合は、僧侶すべてが還俗(僧侶資格の喪失)させられ、伽藍仏具一切が処分されました。五重塔が25円で売却されたという有名な事件まで起こりました。
廃仏毀釈は、仏教徒(主に浄土真宗系)の抵抗や国家神道が形態を整えてきたことによって、10年間ほどで終息しますが、これ以後、「本地垂迹」という言葉も忘れられるようになりました。(平)
〔2007・1・3(水)〕