2007年1月13日(土)「しんぶん赤旗」

ボリバル革命の「ボリバル」とは?


 〈問い〉 ベネズエラの変革の波を興味深くみています。ところで、ベネズエラの国名は「ベネズエラ・ボリバル共和国」ということを初めて知ったのですが、「ボリバル革命」ともいわれるボリバルとはどういう意味なんですか?(東京・一読者)

〈答え〉 ベネズエラでは、1999年12月におこなわれた国民投票で、圧倒的多数の国民の支持を得て、新憲法を採択しました。これに伴って、国名は「ベネズエラ共和国」から「ベネズエラ・ボリバル共和国」に変わりました。

 この「ボリバル」とは、19世紀初めに、スペイン支配下にあった南米諸国の解放と独立のために貢献した軍人、政治家であるシモン・ボリバル(1783〜1830)のことです。

 ボリバルは大地主の息子としてベネズエラの首都カラカスに生まれました。家庭教師だった哲学者からフランス啓蒙(けいもう)思想の影響を強く受け、10代の時にはヨーロッパに遊学しました。

 ヨーロッパから帰国したボリバルは1811年、カラカスの議会で演説し、議会は独立宣言を採択しました。しかし、これに抵抗するスペイン軍との間で戦闘になり、ボリバルはベネズエラ国軍に入隊してたたかいました。

 ボリバルは、このたたかいを皮切りに1825年まで、現在のコロンビア、エクアドル、ペルー、ボリビアにあたる地域でスペイン軍とのたたかいを指揮し、これらの国々の独立を支援しました。このため、南米では今でも「独立の父」「解放者」と呼ばれて親しまれています。

 ボリバルは、ベネズエラ、コロンビア、エクアドルの地域を統一した「大コロンビア共和国構想」を打ち出すなど、ラテンアメリカの統合を強く求めたことでも有名です。大土地所有の解体や奴隷の解放、天然資源の国有化を求めるなど、経済的、社会的な面でも「解放者」として活躍しました。

 現在のベネズエラは、1999年にチャベス大統領が就任して以来、アメリカの支配を断ち切り、自主的な国づくりを目指す社会変革を進めています。

 チャベス大統領は、国名変更を提案した99年当時、国の独立と国民の解放、ラテンアメリカの統合というボリバルの夢は、現政権が進めている改革に通ずるものがあるとして、「ボリバルは永遠にベネズエラの象徴」「国民の魂の不可欠の要素」だと説明し、国名変更へ支持を訴えました。同国では、国名に限らず、「ボリバル大学」や大衆組織の「ボリバル・サークル」など、「ボリバル」の名前がひんぱんに使われています。(島)

 〔2007・1・13(土)〕


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