2000年 6月24日 (土)「しんぶん赤旗」
〈問い〉 政教分離の原則は、なぜ民主主義の原則として重視されるようになったのか、歴史的経過を教えてください。(兵庫・一読者)
〈答え〉 政教分離の原則は、中世のヨーロッパで、政教一致の体制を打ち破るたたかいの中から明確にされてきました。当時、ヨーロッパでは、カトリック教会が世俗的な政治権力と結合して、民衆の思想と生活を支配していました。教皇権力は、神聖ローマ帝国の皇帝を「破門」する(カノッサの屈辱)ほど強大でした。この教会支配の体制に抗して、「宗教改革」がおこなわれましたが、カトリック側も新教=プロテスタント側も政治権力と結んで異教徒を抑圧し、十六世紀フランスのユグノー戦争のような宗教戦争を繰り返し、社会的差別と流血の惨事を生みました。
こうした歴史の教訓から、信仰の純粋さを保つには異なる信仰と宗派の存在に寛容でなければならない、政治権力は宗教的には中立でなければならず、宗教の側も政治権力と結合してはならないという原則が、民主主義的原則として確認され、近代の権利宣言や憲法にうたわれるようになりました。
日本でも、政治を「まつりごと」といい表すように、祭政一致の時代は長く続きました。近代に入っても、天皇制権力の支配を支えるために、神社神道(しんとう)が事実上国教化されて、国家神道という政教一致の体制がつくられ、国民は神社への参拝を強いられました。国家神道は、日本が「天皇中心の神の国」だという神国思想の柱となり、信教の自由をふみにじるばかりか、侵略戦争に国民を駆り立てる精神的推進力の役割を果たしました。
この反省にたって現憲法は、第二〇条、第八九条で信教の自由と厳格な政教分離の原則を定めました。とくに、二〇条一項後段は、「いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない」として、信仰の問題への国家のいかなる介入も許さないだけでなく、宗教の側に「政治上の権力」を行使してはならないことをもとめています。(平)
〔2000・6・24(土)〕
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