学徒出陣とは?

2000年 8月10日 (木)「しんぶん赤旗」


 〈問い〉 多くの学生が戦場で命を落とした学徒出陣とは、どのようなものだったのですか。

(岩手・一読者)

 

 〈答え〉 学徒出陣は、日本の軍国主義が、太平洋戦争(一九四一年開始)につき進んでから、兵員不足を補充するため、徴集を猶予されていた大学生などを大量に徴集し、戦地におくった措置をいいます。

 森首相の「天皇を中心とした神の国」発言が大問題になったように、日本は、現人神(あらひとがみ)とされた天皇の支配のもとで、破局的な侵略戦争をすすめ、国民のいっさいの自由を奪う一方、戦争への国民総動員体制を強めていきました。天皇制政府は、四三年六月、学徒の工場、農村への動員を決定したのに続き、同年十月、学生の徴兵猶予制度を全面的に停止する命令を出しました。同年十月二十一日、小雨の降る明治神宮外苑で、出陣学徒壮行会がおこなわれました。出陣学徒の代表は、「生等(せいら)もとより生還を期せず」とのべました。学徒出陣で、兵営に送りこまれた学生は十数万人にのぼりました。

 肉親や恋人とも別れ、ペンを銃に替え、若い命を断った学徒出陣は、侵略戦争の生んだ悲劇の一つです。「あたら青春をわれわれは何故、このようなみじめな思いをして暮らさなければならないのでしょうか。若い有為の人々が次々と戦死していくことは堪(たま)らないことです。中村屋の羊羹(ようかん)を食べたいとふっと思い出しました」――戦没学生の手紙などを集めた『きけわだつみのこえ』には、死に直面した学生たちのさまざまな心情がしるされています。『きけわだつみのこえ』の表題は、「なげけるか いかれるか はたもだせるか きけ はてしなきわだつみのこえ」という短歌からとられました。「わだつみの悲劇をくり返すな」は、侵略戦争に反対し、平和を願う青年たちの標語になっています。

 いまアメリカの干渉戦争に日本が参加する戦争法の具体化が進み、憲法の平和条項を投げ捨てる改憲の危険な動きが進むなかで、学徒出陣の悲劇の教訓を学び、平和を守る声を強める意義はとりわけ大きくなっています。 (豊)

  〔2000・8・10(木)〕

 

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