2000年 8月19日 (土)「しんぶん赤旗」
〈問い〉 銀行の不始末は銀行業界の責任でというルールにかんし、戦前の昭和銀行の例があげられます。昭和銀行とは、どういうものだったのですか。(福岡・一読者)
〈答え〉 一九二七年、日本では、台湾銀行の不良貸し付けの暴露を契機に、全国的に銀行への取り付けが拡大し、金融面を中心とした経済的混乱=金融恐慌が起きました。この時、預金者と取引先を救済するために設立されたのが昭和銀行です。
昭和銀行の資本金は当時の金額で一千万円(二十万株)。株式は、設立発起人の五大銀行(三井、三菱、住友、安田、第一)を中心に、銀行やその重役、さらには公募でまかなわれました。
昭和銀行は、単独再開の難しい休業中の銀行を一つにまとめ、その資産・負債を引き継ぎました。同銀行の設立趣意書は、「預金ノ支払イヲ開始セシムルコト」「一般商工業者等ニ対シテモ務メテ金融上ノ便宜ヲ計リ」と、預金者、取引先保護を目的にうたい、また「犠牲的精神ヲ以(もっ)テ新銀行株式ニ奮テ応募セラレンコトヲ希望スル」と資金を公募しました。破たん処理にあたっては、税金は投入されませんでした。
日本銀行からは、特別な融資(日銀特融)がおこなわれましたが、融資にあたっての休業銀行への査定はきびしく、重役は現金、有価証券、宅地建物、山林田畑など私財を提供しました。
昭和銀行は、負債を少なくした休業銀行六行、営業中ながら先行きに不安のある五行を買収。債権取りたてに苦労しながら処理にあたり、発足後残高が一億円を超える日銀特融も、一九四二年に完済しました。
銀行の不始末に税金を投入する仕組みが、今回のそごうの問題で、あらためて問われ、百貨店の経営破たんにまでなぜ公的資金を投入しなければならないのかと大問題になっています。昭和銀行の教訓に照らしても、銀行の不始末は銀行業界自身の責任で解決するという資本主義の当然のルールにたち返ることが重要です。
(豊)
〔2000・8・19(土)〕
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