教育基本法は個を重視しすぎる?

2000年 8月26日 (土)「しんぶん赤旗」


 〈問い〉 政府・自民党の間から、「教育基本法は伝統・文化の尊重や奉仕の精神などがなく、個を重視していて、公がない」として、見直しの意見が出されています。実際はどうなのでしょうか。

(京都・一読者)

 

 〈答え〉 教育基本法は、前文で「個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに、普遍的にしてしかも個性ゆたかな文化の創造をめざす教育を普及徹底しなければならない」としています。そのうえで同法は、「教育の目的」を「人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者」の育成にあると書いています(第一条)。これらを見て明らかなように、教育基本法には「文化がない、個があるが公がない」などというのは、まったくのごまかしです。

 しかも、教育基本法制定時の国会審議を見ると、当時の政府は、ここでいう「個人の尊厳」について、戦前の日本には「個人の覚醒(かくせい)がなかった」「この点が国を誤らしめた」、そのため「文化的な平和国家を建設いたしますがためには、どうしてもこの個人の尊厳を認め、個人の価値を認めていかなければならぬ」(高橋誠一郎文相)という立場にたったものであることを強調しています。そして、「伝統・文化」についても、それは「過去のすぐれた文化の伝統の上にさらに新しい文化を創造発展」させること、「自国の文化の特殊性のみを強調していた過去の独善を除去すること」(同前)だと答弁しています。

 この答弁も示すように、教育基本法には、戦前の侵略戦争のもとになった教育―個人をおさえて天皇のために「死ね」と教えた軍国主義的教育の否定の上にたって、いかに教育を通じて憲法のめざす平和と民主主義を基調とした「国家と社会の形成者」をつくるかという決意がみなぎっています。教育基本法の理念は、いわば個と公が統一されているのです。

 教育基本法に「個はあっても公はない」との批判は、教育基本法の理念をゆがめ、「個人の尊厳」を敵視し、国家が支配した戦前型教育への回帰をねらったいいがかりにすぎません。憲法の平和・民主の精神にもとづく教育基本法の平和的、民主的理念は、しっかり守り、生かしていくことこそ大切です。

(田)

〔2000・8・26(土)〕

 

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