2000年10月23日(月)「しんぶん赤旗」
〈問い〉 社会進歩の一つとして、八時間労働制が世界の流れになっているそうですが、どんな歴史があるのですか。
(埼玉・一読者)
〈答え〉 十九世紀、世界では資本主義のぼっ興、発展とともに労働時間の延長をはかる資本家階級にたいし、労働時間の制限・短縮を求める労働者の運動が各国で起こりました。
資本主義がいちばん進んでいたイギリスでは、一八四七年に十時間労働法がつくられました。
一八五〇年代以降、ヨーロッパ、アメリカなどの労働者は、八時間労働制を求めてたたかうようになりました。
マルクスの指導した労働者階級の国際組織・第一インターナショナル(国際労働者協会)は、一八六六年、八時間標準労働日の法制定を世界の労働者によびかける決議を採択しました。
一八七〇年代、ニュージーランド、オーストラリアの一部の州で、女性と年少者に限って八時間労働制を法定化しました。
一八八六年、アメリカでは、八時間労働制を要求して労働者のはげしいゼネストがたたかわれました。このたたかいを記念して、一八八九年、エンゲルスの指導のもとに創立された第二インターナショナル(各国の社会主義政党の国際組織)は、五月一日を労働者の団結とデモンストレーションの日とすることを決めました(メーデーの起源)。
八時間労働制は、二十世紀に入ると大きな国際的な流れとなって定着し、前進しました。この流れの促進に大きな影響を及ぼしたのは、一九一七年のロシア革命でした。レーニンの指導した革命ロシアは、一九一七年、全労働者を対象にした八時間労働制を宣言(布告「八時間労働日について」)。これを契機に、一九一九年、国際労働機関(ILO)が創設され、八時間労働制が第一号条約として結ばれました。
八時間労働制は、一九一七年から一九二三年までの数年間に、ヨーロッパ大陸のほぼ全土に広がりました。
(豊)
〔2000・10・23(月)〕
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